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2018年10月13日 (土)

日野氏と頼朝1

 藤原親光と頼朝の関係をみていた時に浮かんだのが表題のことであった。親鸞は日野有範と頼朝の妹の間に生まれた子というものである。有範は尊卑分脈では日野実光の兄弟とされ、その子に範宴(親鸞)が記されている。とすれば親鸞と資憲は従兄弟ということになり、頼朝が姉妹の嫁ぎ先である日野氏を外戚と呼ぶこともあるかもしれないと思った。ただ、その説には問題があり、確定したものではなさそうである。その説に基づけば親鸞と実光の嫡子資長は従兄弟となるが、資長は一一一九年の生まれであるのに対して、親鸞は一一七三年生まれであり、資憲については生年は不明だが、一一七二年までには死亡しており、とても事実とは思われない。
 同じく実光の兄弟とされる範綱の子範宗は承久の乱で斬られたことが記されており、これも世代的にありえないことである。そのためか、範綱には「或本宗光孫経尹子」とある(尊卑分脈)。確かに実光の兄弟に宗光がいるが、経尹はその孫ではなく子として記されているのでこれも不可解。諸説あるのだろう。範綱だけでなく有範も経尹の子であるとの説もあるが、経尹が宗光の子なら世代的にはよいが、孫とすると今度はおそすぎるということになるが、どうであろうか。日本史の授業の中で、親鸞は日野氏の菩提寺法界寺の一角にある阿弥陀堂で生まれたとの話をしていたが、裏付けは十分ではなかったようである。
 系図の中では信頼性が高いとされる尊卑分脈ではあるが、基本的には個々の記述を確認しなければ使用できない(矛盾がないので使用するなら可ヵ)というごく当たり前のことが確認できた。文書の中でも裁判の一方の当事者の訴状は、正しい文書ではあるが、そこに書かれた内容が正しいかは、個々について確認しないといけない。

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