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2018年8月18日 (土)

皆合と阿刀別符の関係

 以前、「福屋郷について」で述べた内容について再検討する。個々の所領の範囲が水系との関係が深いこともすでに述べた。阿刀別符は日本海の敬川を河口とする敬川の中流域にある現在の跡市とその支流沿いに展開していた。支流の一つが本明川であり、その中流西岸の標高四一七mの本明山上に築かれたのが福屋氏が中世後期に拠点とした乙明城であった。
 これに対して福屋氏領の大半は江川から分かれた八戸川の中・上流域に分布するが、下流域は桜井庄と呼ばれた。河口から三km上流の江尾で南東方面に分岐するのが日和川で、その上流部の盆地が、福屋兼広が最初に所領を得、苗字の地とした福屋がある桜井庄内日和郷である。次いで江尾からさらに四km上流の八戸東と八戸西に挟まれた地点で、南東方面に流れる八戸川本流と西南方面に流れる家古川に分岐する。分岐点から七km上流が美又であり、更に二km上流の南岸が皆合である。本明川とその支流入野川は皆合の約二km北側の地点までしか届いておらず、皆合が阿刀別符内なら別符内の所領が散在していたことになる。
 皆合の地点で家古川から分岐して南流する久佐川の流域が久佐である。皆合は福屋氏領というよりは本来は河上氏領であった久佐に含まれる。久佐の西隣の長屋もまた河上氏領であったが、こちらは下府川の上流域の所領で、長屋から皆合にかけてが現在の今福である。また久佐から下府川を五km下った地点が佐野であり、鎌倉期は石見国衙の有力在庁官人である河上氏領であったが、久佐と長屋は南北朝期後半以降は福屋氏領となっている。これに対して佐野は河上氏領のままであった。これ以降、福屋氏領の再編が行われる中、皆合が阿刀別符内に編入されたと思われる。
 河上氏と東福寺の関係については、本拠地である現在の松川町市村には、文永年間の京都仏師の作とされる本尊のある清泰寺があり、その対岸の川平町南川上にも光福寺が、河上氏の庶子である都治氏の本拠地にも慈恩寺が、安楽寺のある皆合に近い佐野にも良昌寺があり、すべて東福寺派である。

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