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2018年8月16日 (木)

元弘収公地の一例

 遠江国初倉庄惣地頭が北条高時であり、倒幕の功で伯耆守長年に与えられ、七郷中四郷を支配する南禅寺が直務を認められたことについては前述の通りである。南禅寺は亀山院との関係が深い大覚寺統系の禪院であるが、建武三年七月一八日足利尊氏書下により元弘以来収公の寺領の知行が元の如く安堵されている。具体的には不明であるが、南禅寺領の一部が後醍醐により没収されたことになる。北条氏が寄進した地頭職であろうか。
 三浦貞宗(道祐)は建武四年六月一九日に元弘没収地越後国奥山庄金山郷を拝領したが、前年末に金沢称名寺が同郷を安堵されており、知行権が重なっていたため道祐が訴えたところ、同年一一月一八日に、称名寺の権利を認め、道祐には替地が与えるとの裁定が出されたが、道祐が不満を持って再度訴えたのである。
 問題となっているのは金山郷地頭職であろうが、由井尼是心の所領で永仁元(一二九三)年八月二九日には安堵の下知状を得ていた。それを養女平氏に譲り、永仁二年一一月二〇日に安堵の下文が出された。是心の死亡に伴うものであろうか。平氏は金沢顕時の娘で、名越時如の室となっていた。
 由井尼是心は武蔵国由井牧(八王子市)を苗字の地とする武蔵七党の西党由井氏の出身であったが(三浦氏出身とするものもあるが誤りである)、天野政景の室となり、建長八年(一二五八)七月三日将軍家政所下文により政景の子景経に船木田新庄由井郷内横河郷などの所領が安堵されている。景経は由井尼の子であろう。そして由井尼と金沢氏との関係については、天野政景の娘が北条実泰との間金沢氏初代となる実時を生んでいる。実時の母もまた由井尼の子であろう。実時の嫡子が顕時であり、その娘は由井尼のひ孫の子になる。由井尼の孫金沢実時が元仁
元年(一二二四)の生まれであることからすると、永仁元年の時点で由井尼は百才前後であったと思われ、翌二年に死亡したのだろう。
 金山郷は由井氏の所領で、姻戚関係を通じて金沢氏の女性に譲られていたことから元弘没収地とされたのだろう。平氏の夫名越時如は幕府滅亡後は奥州に逃れ、元弘三年一二月に陸奥国で反乱を起こしたが鎮圧された。金山郷は建武政権により欠所とされ、恩賞として某に与えられたが、その後の動乱の開始で幕府が某から没収して幕府方である三浦貞宗に与えたのだろう。
 これに対して金沢氏との関係が深い称名寺が、元徳三年九月六日に平氏から寄進されたとして、尊氏が北条氏関係寺院を含めて元弘以来収公の寺領の回復を認めた際に、幕府に安堵を申請して建武三年一二月一日に認められたのであろう。ところが、三浦道祐との裁判の中で、金山郷の本所雑掌と平氏の夫名越時如の間で行われた裁判の関係史料の記載内容が問題となり、雑掌所帯正慶元年御下知状と時如請文により、平氏は寄進の前年の元徳二年に死亡しており、元徳三年九月六日の平氏寄進状は偽作されたものであることが明らかとなり、幕府は金山郷地頭職を三浦道祐に安堵した。幕府滅亡時には平氏は死亡し、夫名越時如領であるとして元弘没収地とされたのだろう。  

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