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2018年8月25日 (土)

異なる方向から考えてみる4

 出雲土屋氏の一族で、後醍醐から出雲国大葦を与えられた家と丹波国宮田庄垣屋を与えられた家の中には、早くから丹後・丹波・但馬・播磨国に入部し、動乱の開始時に幕府方となることで勢力を拡大した人物がいた。大葦氏は丹後国を拠点として、守護となった山名師義とその子義幸・満幸の守護代となり、明徳の乱の時点では大きな勢力を持っていたが、子に守護代を譲り、山名氏惣領時義の守護代となった人物を除き、明徳の乱で多くが没落してしまった。これに対して垣屋氏は時義の子時熈方となり、明徳の乱では当主が討死したが、その子孫が一五・一六世紀の山名氏の家臣としては最も大きな勢力を持った。  
 土屋氏の系図は信頼のおけるものがほとんどなく、簡単な情報しか得られなかったが、肥前島原松平家文庫に残されていた「土屋垣屋系図」は出雲土屋氏と垣屋氏の動向を解明する上で重要な役割を果たすことができる。所在をご教示いただいた方(本人の個別の事情で、ペンネームしか公開されていない)に感謝したい。同様に、宍道氏についても、『日本氏族大観』上に公開された高岡氏と宍道氏の系図により、出雲佐々木氏一族と京極氏庶子宍道氏の歴史解明に大きな前進が可能となったが、これも実際の系図を調査するには至っていない。
 最初に触れた「北野末社」の問題に戻ると、本ブログでは、大田別宮、福頼庄についても、その所在地の再検討を行い、成案を得ることができた。また、阿野庄金沢村は駿河国にあることも明らかにした。ところが、結番帳や関係史料を利用してもそうした点の分析・再検討をした人を他に知らない。根拠も薄弱な昔からの説(通説となっている場合も多い)に対して疑問も持たずにそのまま使っていては研究ではないと思うがどうであろうか。
 歴史研究に限らないが、公式に基づき考えても問題が解けず、かえって虚像を生んでしまうことは珍しくない。異なる方向から考えてみることは資料の声を聴いて実像に接近するためには必要不可欠である。

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