koewokiku(HPへ)

« 勲功の賞と苗字の地8 | トップページ | 勲功の賞と苗字の地10 »

2018年8月22日 (水)

勲功の賞と苗字の地9

 観応二年正月二四日足利尊氏袖判下文により、島津忠兼に勲功の賞として江石見左衛門大夫跡と播磨国布施郷下[司]職が与えられている。弟直義との対立の中での措置であった。後者については、貞和五年七月二日尊氏袖判下文で与えられた岩間四郎左衛門尉跡布施郷地頭職の再確認であろう。問題は前者であるが、貞和二年六月二一日尊氏袖判下文で与えられた布施郷公文職であろう。その後も布施郷公文職と地頭職は別々に将軍から島津氏に安堵状が与えられている。
 岩間氏は陸奥国御家人であったが、正和四年一一月には岩間三郎入道道貴が播磨国小犬丸保地頭となっていることが確認できる。小犬丸保は穀倉院領として一〇世紀末には成立していたが、応保年中に小犬丸保を含む布施郷が国司と結ぶ平頼盛により立庄されると、小犬丸保は田のみであると称して山林畠地を布施郷側が押領した。これに対して建久八年四月に小犬丸保側の要請を受けて、朝廷が播磨国に小犬丸保の四至を定めて雑徭を免除している。岩間氏は南北朝動乱の初期に幕府方となることで、隣接する布施郷地頭職を勲功の賞として獲得したのではないか。
 観応二年四月一三日には幕府が丹後国守護上野頼兼に河上本庄領家職に対する岩間弾正忠と新□衛門尉の濫妨停止を命じている。文和三年二月には興福寺別当が播磨国吉殿庄への岩間三郎左衞門尉の濫妨停止を訴えている。
 江左衞門大夫については、延文四年に同国土山庄地頭職に対する押妨を行ったと批判された莵原住吉社神官若狭前司江左衞門尉と同一人物であろう。土山庄地頭職は建武三年に幕府により同国広峯社に寄進されたが、その後住吉社にも一旦寄進され、その後寄進が破棄された。これに対して住吉社側は後日の寄進状が優先するとして濫妨に及んだ。
 すでに述べたように、土山庄地頭職と布施郷地頭職は伯耆守一族に与えられたと推定した所領である。前者は幕府から広峯社に寄進され、後者は岩間氏に与えられたが、観応の擾乱の中で直義方となった岩間氏領が闕所とされ尊氏方の島津氏に与えられたのではないか。

« 勲功の賞と苗字の地8 | トップページ | 勲功の賞と苗字の地10 »

中世史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 勲功の賞と苗字の地9:

« 勲功の賞と苗字の地8 | トップページ | 勲功の賞と苗字の地10 »

2021年6月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ