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2018年8月14日 (火)

勲功の賞と苗字の地6

 建武三年二月八日、遠江国人八木秀清が遠江国初倉庄永(吉永ヵ)郷内下司名并阿曽名の本領安堵を足利尊氏に求めて認められている。この所領は元弘三年に収公され、伯耆守が拝領と号して当知行していたとする。伯耆守とは長年にほかならず、肥後国八代庄とともに、遠江国初倉庄も長年に与えられていた。
 「始蔵庄」とも表記され、美福門院領から八条院領をへて亀山院領となり、永仁七年に自らが禅寺とした禅林寺(南禅寺)に寄進している。昭慶門院領目録と『南禅旧記』ではここまでしかわからないが、国立歴史民俗博物館の庄園データベースによると、七郷中の鮎河郷・江富郷・吉永郷・藤守郷であり、これとは別に高野山や宝荘厳院も得分を得ていた。建武元年七月一二日後醍醐綸旨で庄内四郷が南禅寺の直務とされた。
 問題は地頭であるが、①正和五年七月日北条貞時書下と②正和五年月日北条貞時?書下(相州文書浄智院文書)が残っている。浄智寺は鎌倉五山第四位の寺であるが、南洲宏海和尚を実質的開山としている。①②とも写しか残っていないが、①には花押の主を貞時としながら、それ以前の応長元年に没していることを記した付箋があり、『鎌倉遺文』の編者竹内理三氏は「本文書偽文書なるべし」との注記を加えている。正和五年時点では貞時の子高時が得宗であった。②の花押は高時の花押といえなくもない形状である。②は南洲和尚塔頭蔵雲菴は諸方開山に準じて、代々の長老等が仏事を懈怠なく取り行うことを命じている。①は初倉庄坂口八幡宮別当職、吉田下□□神宮寺、河尻村増福寺、藤□守郷薬師寺、同郷長福寺の五ヶ所と初倉庄坂口星窪寺院主職について、亀崗殿御寄進と故相模殿(貞時ヵ)寄進に任せて、南洲和尚塔頭蔵雲菴に安堵している。①②ともに高時発給の正しい文書とすべきである。

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