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2018年8月 8日 (水)

勲功の賞と苗字の地3

  加悦氏については伯耆国蚊屋庄と関係するとの説もあるようである。文和三年一〇月一四日に佐々木近江守秀綱跡に前年六月に秀綱が美濃国で討死したことに対して恩賞が与えられているが(佐々木家文書)、その中に城大曽祢跡である蚊屋庄が与えられている。大曽祢氏は鎌倉幕府有力御家人安達氏の一族と思われるが、戦国期に至るまで伯耆国で勢力を維持している。
 丹後国「加悦」についても現在は「かや」と読むが、応永二五年一〇月八日しんせう補任状(田中忠三郎氏所蔵文書)では「かゑ」と表記している。実相院領であるが、応永二五年までの地頭は二代将軍足利義詮の子満詮であった。まさに御料所に準じたものであった。また、名和氏一族の加悦氏はその後惣領名和氏と同様に肥後国へ移り、その家臣として続いており、加藤清正の家臣となった家もあった。現在もその子孫が熊本・鹿児島県などにみられる。
 長年の父行高の兄弟小三郎入道行貞の子信貞は建武三年六月に京六角猪熊で討死している。その弟長貞には「葦高江」と記されるが、比定地は不明である。信貞の子高貞には「使・春日部新判官」と記され、検非違使にも補任されている。丹後国志楽庄内にも春日部村があるが、丹波国春日部庄を与えられたのだろう。
 建武三年九月一二日足利尊氏書下によると、赤松貞範が荻野一族が度々下知に背き、赤松氏代官を寄せ付けないとして訴えたのをうけて、幕府が丹波国守護仁木伊賀守頼章に丹波国春日部庄地頭職の庄家に貞範代官を沙汰居らせる養命じている。円心の庶子貞頼は建武二年末の竹下合戦で建武政権を離脱して尊氏方となったことで、同庄地頭職を得たとする。春日部庄地頭職が北条氏・幕府関係者の所領であった可能性が高い。それが建武政権により伯耆守一族(加悦氏)に与えられたが、幕府はこれを没収して赤松氏に与えたのではないか。荻野氏は丹波国葛野庄を支配する近隣の国人である。伯耆守一族、赤松氏一族と国外の国人に春日部庄が与えられたことに対して、幕府方ではあるが不満があったのだろう。
 春日部庄内中山村は貞和二年一二月二八日には足利尊氏により丹波国安国寺(元光福寺)に寄附されたが、赤松貞範による押領が継続して行われていた。赤松氏は春日部庄内黒井村の地頭職については幕府による安堵を受けている。また、応永二五年までは春日部庄内に三代将軍義満の子義嗣の所領もあった(尊経閣文庫所蔵文書)。一方、南朝方の春日部高貞は畿内周辺で活動を続け、正平一〇年五月二一日に伊賀国内での山賊との戦いで討死している。

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