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2018年7月23日 (月)

南北朝動乱と出雲土屋氏1

 ここのところ、院政期~鎌倉末期までの知行国主と国守並びに院分国について検討をしていたが、権力者が交替するとあっという間に知行国を認められる人々も交替する。そして両統迭立により、持明院統と大覚寺統のそれぞれが世襲する分国を確保するようになる。それまでは長期間にわたって院分国となる国はいくつかあったが、期限付きというのが原則であった。
 次いで、ブログの読者から土屋氏一族垣屋氏に関する新たな系図の存在を教示いただいたため、その検討を行っていた。これまで未知の土屋康宗(その兄弟については記載なし、父は実康、祖父は忠宗=後述)から出た垣屋氏の苗字の地「垣屋」は丹波国宮田庄内にあるとされるが、その菩提寺蓮華寺と一族の苗字の地である「大谷」は但馬国北部の竹野郷内にある。この大谷氏から垣屋氏が分出されている。垣屋氏の中には播磨国守護赤松氏の家臣となり、赤松氏当主と共通する「則」をその名前に使用しているものもいたが、今回の系図には記されていない。系図で同族とされる福富氏については、出雲国にも出雲郡福富保があり、その関係者である可能性も検討したが、但馬国北部の大庭庄内福富が苗字の地であるとようやく確認できた。隣接して系図にも一族の苗字の地としてみえる「和田」がある。ただし、弘安八年の但馬国大田文をみても土屋氏が地頭である所領はなく、これ以降に進出したものである。
 出雲国の土屋氏は南北朝動乱で反幕府方となったものが多く、それがゆえに後に山名氏領国へ移住したものがあったが、反幕府方となった背景として、伯耆国船上山から幕府打倒の命令を出した後醍醐天皇との関係が考えられる。『古本伯耆巻』によると、隠岐国分寺に幽閉されていた後醍醐が京都から奉仕してきた成田入道に、警固にあたっている武士で頼みになるものがいないか聞いたところ、土屋又四郎を連れてきて、土屋が名和長高(長年)を推薦し、他の二〇余人の武士も同意見であったことが記されている。警固にあたっていた長年の弟村上行氏を通じて長年を説得しようとしたが、その前に京都から警固の責任者である隠岐国守護佐々木清高に、監視を徹底せよとの命令が届いたため、後醍醐は準備が整う前に急いで隠岐からの脱出を行った。それを知った追跡をする清高の船が美保関に入ったとの情報を得たため、後醍醐一行は野波浦に入り、その地の地頭を頼った。

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コメント

さっそく熟読させて頂きました。土屋氏と但馬、丹後地域の関係は、今まで知ら無かったので目から鱗が落ちる驚きです。幅広い視野での研究に頭が下がります。
以下、気になったところ書きます。
出雲蓮華寺と、但馬蓮華寺この二寺の関係が気になりますが、本家と分家か偶然でしょうか。そういえば出雲蓮華寺の近くに福富の地名が有りますか、これも但馬に移ったものでしょうか。
本文中に、土屋又三郎宗重が見えますが、この宗重は、国立公文書舘所蔵の[名和系図写同一族系図写](デジタルアーカイブ公開済み)に、見える。土屋千原出雲権守宗行の子筒川三郎左衛門宗重でしょうか。

追記石見桜井氏に、新情報がありましたので記します。
那智大社文書所要の土屋系図に、[阿与総領ヲ桜井ト云此人ハ石見居住也]ありますが、この阿与とは、阿用城主桜井氏を指すと考えられます。そうすると石見桜井氏と出雲阿用桜井氏が同族となって、出雲桜井氏が庶子となります。

コメントに誤りがあったので訂正します。
出雲蓮華寺×出雲蓮花寺○
土屋又三郎宗重×土屋孫三郎宗重○
誤字脱字や勘違いが有りまして申し訳ないです。

 十分検討したわけではありませんが、千原と筒河は丹後国内の所領名だと思われます。布志名雅清が若狭国守護となり、若狭国名田庄を得たのと同様に、土屋宗行・宗重父子は丹後北部に所領を与えられたのではないでしょうか。とりわけ筒河は丹後半島先端部にあり若狭湾を挟んで若狭国と対峙しています。出雲佐々木氏の富田氏の庶子に羽田井氏がいますが、羽田井という地名は出雲国にはなく、伯耆国船上山頂から約10km北にあります。後醍醐への勲功により与えられた所領を苗字にしています。
 ブログのコメント欄では制約があるので、これ以降はharak399@nifty.comまでメールでお知らせ下さい。

電子メールの件は、有り難い申し出で有りますか事情があって出来ません。
誠にお恥ずかしい話しですが正直に書きます。私はパソコンの検索機能しか使った事が無く、電子メールは、一回も使った事が無く正直やり方がわかりません。
ご不便ご迷惑をお掛けしますが今まで通りコメント欄でコメントさせて頂きます。
何かとお忙しいかと思いますので、コメント返信は気が向いた時で大丈夫です

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