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2018年6月26日 (火)

長野庄と保元の乱4

 梅宮社務と宇多庄務の問題を混同して述べていたので、整理・訂正する。
 頼長が五月一八日に密かに鳥羽院のもとへ梅宮社の正・権預と宇多庄務人並びに学官院の造営について申し入れを行った。
 正・権預については六年が経ったが任期切れであるかを聞いた。鳥羽院を通じて仲遠が正預への補任を求めた申状が届けられていたが、是定(頼長)が補任すべきものだとして、一九日には頼長が返上している。
 二〇日に後鳥羽から伝えられたのは、仲遠の申文については留め置いて、仲遠と基仲の中から預を補任すべしとの回答であった。宇多庄務についても紀以長(橘氏惣領)は経済力があるが、故待賢門院の崩御の際に兼仲を補任しており、兼仲の弟である基仲を補任するのが故院の本意に適うとしている。基仲は橘氏の大学別曹である学官(学館)院を再興することを了解しており、頼長も基仲を召して宇多庄務を執行することと、学官院の再興を命じた。
 二七日には鳥羽の意向が伝えられ、基仲が庄務を命じられたので、梅宮正預には仲遠を補任すべきとことであった。次いで二八日にも意向が届けられ、仲遠を正預に補任せよとしたのは基仲が正への転任を望まないためであったが、やはり基仲を正預として仲遠を権預に補任すべきというもので、頼長は自分の意見も同じだが、現在の基仲は親族の死による服解中であり、喪が明けるのをまって基仲を正預に転じさせ、権預に仲遠を補任するとしている。
 まとめると、卜部兼仲は久安元年に待賢門院が死亡した際に、その意向により宇多庄務に補任されていた。今回は梅宮社の正権預の任期が空けたので誰を後任とするかが問題となったが、仲兼の子仲遠は鳥羽院を通じて補任を求める申状(請文)を提出していた。これに対して最終的な補任権を有する頼長が、補任権は自分にあるとして、兼仲の弟基仲に宇多庄務を任せ、正権預についても、喪があけるのをまって基仲を正預に補任し、仲遠を権預に補任した。

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