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2018年5月14日 (月)

国造譲状と造営関係史料2

以下の説明のため、総合的に判断した関係者の生年推定を示す。
 守護関係者 頼泰1245年頃~ 貞清1275頃~1326 覚日1280頃~ 高貞1295頃~1341 
  時綱1297頃~  宗貞1317頃~1341
 国造家関係者 泰孝1240年頃~1307? 孝時1275頃~1336? 孝景(福得)1295頃  
 清孝1300頃~1345  孝宗1315頃 貞孝1320頃
 守護泰清と義孝はほぼ同世代で、泰清が弘安五年に死亡したのに対して義孝も弘安四年三月の申状作成後まもなく死亡した可能性が高い。そうしてみると、義孝の子泰孝と泰清の孫(曾孫を修正)である覚日の間には二世代分=四〇歳近い年齢差があったことになる。まさに孝時の晩年に産まれたのが福得丸で、且つ佐々木家との関係を考えると、福得丸を後継者とすることも考えられる。ただし、当初の後継者である孝時を支持する人々もあったであろうし、且つ元服前には国造にはなれない。孝時の年齢を示すものはないが、文保二年(一三一八)一一月一四日国造孝時去渡状(偽文書)が作成されていることを考えれば、徳治二年(一三〇七)には孝時は三〇歳前後で、福得丸は一〇歳前後であろうか。泰孝置文では「国造大社神主」と、譲状では「国造兼大社司」であるが、譲与の対象はいずれも「神主」であって「惣検校」ではない。これに対して去渡状では「国造兼惣検校」と署名し、且つ「国造三郎」という宛所がある。また、その内容は泰孝置文に反するものである。これに対して元亨四年八月二七日の去渡状では「去渡 舎弟出雲貞孝」という形で始まり、以下に具体的権益を記し、最後に「国造兼」出雲孝時と署判を加えているが、「神主」が欠落したものであろう。孝時と覚日はほぼ同世代であり、孝景は孝時の異母弟である。同様に年齢差を勘案すると、孝時の子孝宗と貞孝は同母(妙善)弟だが、嫡子清孝は異母兄である。
 泰孝は譲状とともに置文も作成した。三月二〇日の置文では、神主・国造職と杵築社領を、その証文とともに女房(覚日)に渡した。いわゆる後継者決定権を委ねた後家としたのである。当面は一期分として孝時に譲るが、その後継者は孝時と福得の子孫から覚日が選んで決めることを定めた。その上で一二月五日の譲状では嫡子孝時とその他の子に所領を譲った。一期分の惣領である孝時には所職・所領の文書に併せて御造営日記・調度之証文を譲った。すでにこの時点では領家との対立も発生しており、旧記は重要な証拠であった。ただし、孝時への譲状と置文は後家である覚日のもとにあった。泰孝の死後まもなく、領家雑掌との裁判が始まった。

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