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2018年5月28日 (月)

建久元年遷宮の期日

 建久元年遷宮の期日については、六月二九日とする建久二年在庁官人等解と一〇月一八日とする承久二年遷宮年限例注進があると述べてきたが、「北島家譜」を眺めていたら、後者の引用部分には「六月十八日」と記されていた。これでも一一日の違いがあるのは不可思議であるが、びっくりして『平成の大遷宮 出雲大社展』の図録で原本の写真を確認してみると、やはり「六」としか読めない。『大社町史』の史料編で確認した後に、『松江市史』を確認すると、こちらは「十」であった。
 『松江市史』では北島家文書の原本校正の初校を担当したので、「なぜチェックできなかったのか」とさあ大変である(二校は互いに担当を代えて行う)。原本校正といっても実際には原本を見ることができないので、県立図書館所蔵の①北島家文書の影写本(大正期に作成)、②『出雲国造家文書』、③『鎌倉遺文』で確認をしたはずである。本日は月曜日で県立図書館は休館日なので、とりあえず所有する『鎌倉遺文』をみると「十」となっていた。明日のところで、①②について確認することとする。『大社町史』では建武三年の国造孝時申状の土代で痛い目にあったことがあり、こちらは自分の担当ではなかったが影写本で確認したことは覚えている。原本の写真は図録で初めて見た(これも記憶だが、図録は二〇一三年四月刊行なので、同年三月刊行の市史原本校正時に見ることはできない)。
 土代については「如右大将家建久三年七月廿<三日御下文者、可早任領家前中納言家解文、>以資忠為惣検校職事」のうちの< >内部分が『大社町史』の翻刻では欠落していたが、写すさいの誤りとしか考えずに、頼朝の下文二通を復元して、通史編で鎌倉時代の杵築大社を担当していた西田友広氏にメールで送るという、今からみれば冷や汗もののことをしていた。しばらくして自分で気づいて唖然としたので、『松江市史』ではこの土代については心して行ったのだが。とりあえずは明日、この記事の補足として結果を記す。『松江市史』の校正は『大社町史』に収録されたものは一太郎で作成した大社町史のファイルをチェックする形で行ったが、このやり方は効率的ではあるが、以上のような危険性もある。
  確認の詳細は本日のブログ参照。結果としては、②は「十」であり、①影写本には収録されており、「十」と誤読する余地はなく「六」と記されていた。

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