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2018年5月14日 (月)

国造譲状と造営関係史料8

 すでに見たように、建武二年冬に領家雑掌が越訴を行ったため、国造側は裁判史料として自らの由緒(造営旧記、領家・幕府文書)を京都に持って行った。訴訟が長期化する中、滞在費並びに裁判関係者への働きかけの費用がかさんだのか、お金を工面するため文書を質入れしてしまった。それが、国造家の分立問題が発生した際に、少なくとも孝宗側は孝景と結んで関係文書を入手して、対立する貞孝側に対して優位に立とうとしたが、結果的にはその中心史料は貞孝方が入手した。これを千家側は不当だと指摘する。清孝が掌握する杵築大社政所から持ち出したものではあるが、清孝の後継者が貞孝であったことは決まっており、そのもとに文書を持ち込んだのが誰かは不明だが、利害の対立する千家方を除けば批判されるべき行為ではなかった。史料からは孝景が健在なうちに渡され、それを千家側がその子時孝への御教書発給を幕府ないしは守護に求めているように思える。ただし残っているのは応安三年の杵築大社神官等解状のみで、幕府や守護の発給文書は残されていない。
 前にも述べたが、裁判に提出された資料は自己に都合の良いように述べており、そこに記された内容の信憑性について検討した上で利用しなければならない。ここに登場する杵築大社神官等は千家方の神官にすぎない。いずれにせよ、造営旧記の所持は今後の造営事業を行う上で必要不可欠であり、かつ、自らの正当性を主張するものでもあった。正平一二年正月日出雲貞孝申状では「貞孝帯旧規等注進言上」とし、貞治四年一〇月日出雲資孝でも「旧記・差図等数十代相続資孝」と述べている。
 実際に造営旧記がどのように所蔵されているかをみると、①「治暦・天仁・久安旧記」と②「建長元年六月日杵築大社遷宮注進状」、③「承久二年遷宮勘例案」は北島家が所蔵する。都に持って行った文書であろう。これに対して杵築大社政所を独占していた千家側にも、②の関連史料で裁判には使用されなかったものが残っている。④建長元年八月日日記案抜書は,その名のとおり原本ではないが、遷宮に関する日記から神宝に関する部分を抜き出したもので、本来は国司への報告のため目代の子息である細工所別当左近将監源宗房が作成したものであるが、年月日と作成者名の部分を削除している。北島家譜には削除前のものが収録されているが、当番月に政所で写したものであろうか。その他、文永一二年四月に報告された⑤仮殿造営目録日記、⑥正殿道営日記目録、⑦遷宮日時并神事勤行式次第が千家方に残されている。⑦が②の抜粋であることは一目瞭然である。いずれも杵築社政所に保管されており、裁判には直接関係しないため、千家方に残されていた。

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