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2018年5月14日 (月)

国造譲状と造営関係史料5

 大社文書で裁判に関係する主要な史料は京都に送られたが、その他は孝時から清孝・貞孝の異母兄である杵築弘乗房が預かっており、その弘乗房から文書を国造清孝に渡したとの報告があり、暦応二年二月二七日には高貞が承知した旨答えている。清孝方=杵築社政所である。同年一二月には国造清孝が杵築社頭役に関する高貞からの文書を送るとともに、国造の代官を舎弟五郎孝宗に申し付けたので、頭役の遵行を孝宗とともに行うことを山城守に依頼している。山城守とは高貞の同母弟時綱の子山城守宗貞である。
 暦応三年四月二〇日、清孝が稲岡郷の一部を御相承として進め候、得□(心ヵ)あるべく候と千家五郎孝宗に伝えている。大社町史の綱文では清孝が大方殿に所領を与えたとするが、この解釈で良いであろうか。大方殿が自らの所領を孝宗に進めたとの解釈が正しいのではないか。
 まずは「大方殿」とは誰であろうか。国語辞典的には貴人の母の尊称とあり、孝宗の母妙善の可能性もあるが、康永三年五月一三日沙弥浄覚書状にも「大方殿」がみえている。兄弟間の相論に対して、両方とも大方殿が兄弟に違乱があってはならないと書き置いた旨については度々承っているだろうと述べている。次いで清孝が存命中から孝宗が代官を務めた上で相続したことは承知しているが、「正直なところを申すのも神を恐れることになる」と言葉を濁した上で、この点は国造家関係者や国衙の有力者せある多祢・朝山へも先に申したことを述べ、祭礼・神事が行われなければならないと、千家孝宗に伝えている。
 「 」内の発言をどう解釈するかは意見がわかれる可能性があるが、清孝の死を受けて後継者であるとされていた貞孝が神魂社に赴き火継ぎ神事を受けたことを念頭に置いているのであろう。後継者の儀式を終えた貞孝に対して、孝宗が杵築社政所を押さえて対抗しているのである。浄覚としてはとりあえず、祭礼・神事を終了した上で調整すべきことを伝えていると思われる。この三日後の日付を持つ母妙善の孝宗宛の書状が偽作されたのも、貞孝方が正式な儀式を終えているのに対して孝宗はそれを受けていないという弱点をカバーするためのものだった。

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