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2018年5月 5日 (土)

九条家領美談庄の成立1

 美談庄は建武三年八月二四日九条道教家領目録に「出雲国林木・美談両庄領家職」とみえ、九条家が領家として預所を補任する庄園であった。応安三年には九条経教が祇園社に祈祷料所として寄進している。林木庄については平安末期以来の史料が残っているが、美談庄については現時点で確認できず、九条家領となったのは九条道家が惣処分帳を作成した建長二年から建武三年の間である。
 ただし、末次保が建長二年以前に九条家家司藤原長倫の寄進により九条家となったのと同様の状況が考えられる。末次保の成立時期は不明だが、長倫が建保五年(一二一七)正月二八日に出雲権介となったのが、長倫への寄進の契機となったと思われる。美談庄の九条家への寄進は建長二年以降であるが、庄園としての成立は鎌倉初期ではないか。平安末期には皇嘉門院領となっていた林木庄の立券については、保元三年四月から平治元年(一一五九)閏五月まで出雲守であった平基親が関係している可能性がある。基親も摂関家家司としての一面を持っていたが、同じ保元三年四月に伯耆守に補任された源光宗が一年で交代したのを受け、基親は伯耆守に遷任し、仁安元年(一一六六)八月まで務めた。父親範が知行国主であったと思われるが、親範自身も久安四年(一一四八)正月から保元元年(一一五六)正月まで二期八年伯耆守を務めていた。
 出雲国西部には後に近衛家領となる高陽院領福頼庄が一二世紀以前に成立しており、仁平三年には楯縫郡万田庄をめぐり鰐淵寺唯乗房と源義広の家人久木新大夫との間で合戦が起こっている。唯乗房は鰐淵寺との深い関係を持つ勝部宿祢一族の可能性があり、新大夫が苗字とする楯縫郡多久郷内久木は南側の出雲郡に向けて大きく張り出した領域であった。久木の南に隣接するのは福頼庄である。美談庄の成立に西隣の林木庄の成立が影響した可能性は大であろう。ただし、平基親以降の出雲国司はほとんどが院近臣であり、摂関家との関係は弱い。

 

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