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2018年4月28日 (土)

国造清孝譲状について4

  貞和五年に行われていた訴訟で問題となったのは、①建武元年八月一〇日国造孝時譲状と②建武二年一一月二日国造孝時譲状である。①は清孝への、②は清孝は一期分として、その跡をあかこまろ(北島貞孝)に譲るというもので、両方が成り立つことはなく、少なくとも一方は偽文書である。①については佐草禅光の手跡であり、孝宗が保管してきたと説明されたが、貞孝側は偽文書だと主張した。確かに「国造兼大社出雲孝時」との署名はありえない表現であるし、内容も孝時が相続した際の事情を踏まえていない。なによりも、両当事者は真相を知っているが、結果的に第三者がどう判断するかであり、どちらがもっともらしく主張できるかである。これに対して②は孝時の室で孝宗・貞孝の母である妙善が執筆したと貞孝が主張したのに対して孝宗は有効な反論ができず、承伏せざるをえなかったことが記されている。この二つの譲状の真偽は明らかであろう。ちなみに②では国造神主孝時(実際はひらがなで)と署名しているが、これには問題が無い。
 もうひとつ問題となったのが、③康永二年五月一六日妙善書状であり、孝宗側が妙善の自筆であり、火継ぎ神事を行った証拠として提出したものであった。これに対して貞孝側は偽文書と答えるのではなく関知しないと述べている。孝宗方が火継ぎを行っていないとの批判をかわすために提出したのに対して、①が偽文書で、②が正しい文書ならば③の真偽は関係ないということであろう。清孝が孝宗に譲る権限を持っていないということである。国造家の分立後ならともかく、一統国造の時代に、清孝の死をうけて貞孝が火継ぎ神事を行っているのに、さらに孝宗がこれを行うことは不可能であろう。
 以上のように、両者の主張のいずれが事実に基づくかは明らかである。しかし、それにも関わらず紛争は起きているのであり、その原因を明らかにする必要がある。本ブログでは、孝宗と貞孝の対立は孝時流内部の問題だが、これに尼覚日の実子である孝景が参戦してきたことにより、問題は複雑化した。孝宗と孝景が手を結んだわけであるが、孝宗が清孝から譲られたにしてもそれは孝時流の問題であり、孝景は孝宗に協力しつつも、母覚日が自らを後継者に選ぶことを期待したのであろう。ただし、そのような選択をすれば、さらに決着が遠のくことを覚日は知っており、孝宗と貞孝の中での決着を望んだのであろう。

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