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2018年4月27日 (金)

東三郎殿御相論2

 今回、国造泰孝譲状ならびに置文の内容との関係を踏まえた上で孝時譲状と置文の関係をみなければならないことを確認した。泰孝譲状では神主職と所領を嫡子孝時に譲るとしているが、置文では孝時への譲与は一期分であり、その後継者は尼覚日が孝時と福得(孝景)のいずれかの子に与えることを求めている。孝時譲状は父の譲状を受けて後継者を一期分の清孝とその後の貞孝という形にしたが、孝時・福得の子のいずれかに覚日が与えるべしとの泰孝置文がその前提にあるのである。孝時の後継者と福得の後継者のいずれかを選ぶのは覚日の権限であることを再確認したのが孝時置文である。
 以上のことを踏まえると、東三郎殿御相論とは福得=孝景が孝時の後継者清孝・貞孝に対して起こした相論であったことになる。康永三年二月九日には某(高よし)が伯父孝時からの譲状を相具して舎弟時孝に所領を譲り渡したことを杵築東三郎殿に伝えている。某と舎弟時孝は孝時の弟の子であるが、弟とは孝景であり、某は孝時から譲られた所領を弟に譲ったことを父東三郎孝景に伝えたのである。この時点で前国造清孝が生存している可能性はない。
 これに対して、井上氏は孝景の子孫は向氏であるとの説を提示されている。時孝の子秀孝が向氏であることは確認出来る。ただし、孝景には某や時孝のように兄である国造孝時の所領を譲られた子とともに自らの所領を継承した子がいたはずである。その子が東氏を継承して、戦国期の東氏につながっていくとすべきであろう。孝景の子達は祖父泰孝から未来の国造の可能性を持つものとされており、一期分の国造・神主として父の所領の大半を譲られた孝時がその所領の一部を譲ったのはそのためであろう。
 尼覚日については佐々木貞清の子で高貞の姉であるとされるが、守護佐々木泰清と国造義孝が同世代であるのに対して、泰清の曾孫である覚日が義孝の子泰孝と結婚するというのは可能性としてほとんどなく、覚日は頼泰の子であろう(以前のブログでも述べた)。守護塩冶高貞からすると父貞清の姉妹であった。この場合でも泰孝と覚日には一定以上の年齢差があり、覚日は泰孝の後室で、孝時の母とは別人であろう。泰孝は当座の処置として孝時に国造・神主職を譲ったが、それは覚日の子福得がなお幼少であったための一時的な処置で、その後の継承を覚日に委ねたのであった。
 以上、二〇〇四年の論文では不明確であった点について、論拠に基づく新たな説を論証できたと考える。

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