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2018年4月18日 (水)

近世における救済と自己責任1

 購入しながら序文しか読んでいなかった木下光生氏『貧困と自己責任の近世日本史』を読んだ。よんどころない理由で隠岐へ日帰りすることとなり、昨日は波も凪いでいたので、船内で本を読むことが可能であった。
 最初に史料の評価について問題とされた。従来行われてきた持高に基づく分析に疑問がなげかけられた。持高の多寡とその家の状況の良し悪しの相関性はそう高くないというのある。本来の持高に意味はあったが、時間が経つにつれて実態とのあいだのズレが大きくなるのはどの時代にもみられる。中世では細かいデータは残っていないが、平安末期のデータに基づく大田文の田数が中世後期でも利用されていることはよく知られている。一三世紀半ばの実際のデータがわかる庄園の場合でも、大田文の田数とはかなりの乖離(増加している)がみられる。データーそのものは偽造されたものでなくても、時代の変化を踏まえずにそれをそのまま使うことによって歴史を偽造してしまうことはあるのである。

 救済のあり方について、通説では積極的に関与してきた藩などの領主が近世後期になるとそれは村の責任が基本だとして、消極的になるとの通説についても、近世前半から救済の主体は村であり、あくまでも藩はそれを補うものであったとの批判がなされた。これについては、なお前期と後期の藩の対応、あるいは村の対応について、さらなる事例の収集が必要であると感じた。
 この本では松江藩が救済のために支出した米とお金についても表にされ、それが臨時的な位置づけでしかなかったことが記されている。その出典となる「出入捷覧」についてもさらなる分析が必要であるが、これでわかるのは現在の一般会計の範囲であり、特別会計についてはブラックボックスとなっている。

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