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2018年4月28日 (土)

国造清孝譲状について2

 次に治暦・永久造営旧記については正文は知らないと孝景が述べている。質入れ文書目録にも宝治造営旧記は含まれているが、治暦・永久旧記は含まれていない。領家雑掌との裁判で有効なのが国造側が神主・権検校を独占して行った宝治の造営の記録である。建武三年に比定できる尼覚日書状では、去年建武二年の冬に沙汰の事で京都に持って行き、玉造の僧「めうせうの御房」に預けた際の請取状を守護塩冶高貞に提出することを述べている。清孝が国造・神主を相続したことを守護に安堵を受けるためであろう。実際に六月五日に高貞が覚日書状を「執達如件」として国造に伝えている。
 ただし、旧記以下の文書の中には孝時が長子である僧弘乗房に預けていたものもあり、暦応二年二月二七日には弘乗房が清孝方に渡したことを高貞が承知したことを弘乗房に伝えている。その中に治暦・久安旧記は含まれていなかったため、孝宗は孝景に問い合わせ、孝景はその旧記については知らないと述べているのである。また、建武二年冬に京都に文書が持って行かれた文書の中に孝時譲状並びに置文が含まれない事は明らかである。孝時と雑掌の訴訟には無関係だからである。譲状・置文は治暦・久安旧記とともにそれで利益を得る貞孝(あかこまろ)方に渡されたのである。
   ②には旧記に続いて、六波羅番役と異国警固番役の文書について記している。国造が御家人であることを示す文書としてあげられているが、孝景は守護の関係文書とともに所在は不明としている。③でも大庭田尻安堵状が問題となっているが、幕府発給文書であろう。②では次いで三月会関係文書とさくさの武家御下文について孝景は承知していないと答えている。最後に造営に関するものであろうが、正税未進に関する御教書を含めて清孝方に渡すべき文書があれば後日にすすめると述べ、当社大明神に誓っている。

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