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2018年4月22日 (日)

史料の保管元6

 結果的には本殿造営は国造義孝の所持する文書に基づき目代が行え、さらには国造義孝とともに行えとの命令が出され、国造義孝が神主に復帰し、この後は領家の交代により実政が神主に補任されることはあったが、国造が幕府に訴え、幕府がその訴えを認めたことで、神主の確保に成功した。文永一二年正月に神主に復帰すると、国造側は嘉禄二年の仮殿遷宮と宝治二年の正殿遷宮の関係史料目録を四月に提出している。その名称をみると国衙が保管すべきものと思われるが、実際は杵築社政所に残されており、実際には長期間神主を保持した国造義孝が所持していた。義孝に対抗する目代氏定が拠点とする国衙(留守所)や政所そのものには残っていなかったため、義孝に代わって神主となった実政側はどうにもならなかった。
 以上、治暦三年に国司が杵築社に所領を寄進して以降は、国衙内の杵築社政所に造営史料が保管されており、杵築社領の立券後は国衙とは独立した杵築社政所に保管された。ところが、承久の乱で国衙の有力在庁官人とともに神主中原孝高が没落したがことで、政所の史料も散逸し、残るは建久二年の裁判のため作成され、国造が所持する旧記のみとなった。承久の乱後は政所に史料が保管されていたが、国造がながらく神主を務める中、関係史料は国造側が保持し、後任の神主はそれを活用することはできなかった。それは国衙目代も同様であり、そのため、国造義孝・泰孝父子が神主を独占することに成功し、泰孝以降は譲状の中に造営関係史料が記載されることになった。

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