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2018年4月11日 (水)

杵築社領の立券3

  杵築社領の立券時期をさらに絞りこむと、久安元年の遷宮の状況がヒントとなる。本日、九州大学国史学研究室編『古代中世史論集』を入手した。中国地方の図書館にはなさそうで、島根県内の大学も検索してもヒットしない。国会図書館にはあろうが、論集の場合は一つ一つの論文の半分までしか複写してもらえないので、公共図書館の専用パソコンで閲覧するか購入するしかない。前者は利用時間の制約もあり、中古を送料込み二七〇〇円弱で入手した。セロハン紙こそないが、新品同様であった。一九九〇年の出版時の価格は一万円(税抜)である。高い買い物であったかどうかは収録論文のあたりはずれによる。最近では一定期間が過ぎて売れる可能性が少なくなった論文集は裁断されるようだ。
 とりあえず松薗斉氏「出雲国造家の記録譲状作成の歴史的背景」が主目的であった。関係論文で引用されており、とりあえず確認が必要と言うことで、内容にはそれほど期待していなかったがほぼ予想どおりであった。譲状等関係史料の真偽は検討されておらず(この点については最終的には、同氏の「中世神社の記録について-「日記の家」の視点から」で再度確認したい)、造営旧記作成の背景もきちんと分析されていない。承久の乱が出雲国衙と杵築社に与えた影響も考慮されていないという状況である。
 唯一参考になったのは、康治元年の仮殿遷宮とそれに続く正殿遷宮の際の儀式と宝治二年の正殿遷宮が表にして比較してあることであった。前者では国造は遷宮儀式の際の司祭者としての立場を出ない存在であったが、後者では造営・遷宮の共同運営者の地位にまで上昇しているとする。実際はこの間に建久元年の正殿遷宮があったのだが、その関係史料は残されていない。大きな変化があったのはこの建久元年の遷宮であったと思われる。その変化とは国衙の一部を構成する一宮杵築社とその所領から、本家・領家の支配下におかれた庄園としての杵築社とその所領へと変化したことである。

 

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