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2018年3月12日 (月)

鎌倉初期の伯耆国司3

 経高現任の翌建保四年六月二〇日には藤原忠行の子経季が伯耆守に補任された。一六才であり父忠行が知行国主であろうか。曾祖父季行が因幡守であったことは前述のとおり。祖父重季は建久年間に知行国主九条兼実ヵのもとで隠岐守を務めた。経季は嘉禄二年正月に従四位下、安貞三年正月に従四位上に除されているが、いずれも宣陽門院御給とあり、後白河の娘宣陽門院との関係を有していた。
 経季が承久元年(1219)一一月一三日に伯耆守を得替した後の伯耆守は不明である。同年正月に源実朝が右大臣拝賀のため訪れた鶴岡八幡宮で暗殺された。その参加者に「前伯耆守親時」がみえるが、他に関連史料がない。『承久記』では伯耆前司師憲が実朝とともに斬られたとするが、因幡前司師憲と情報が錯綜している。半年前の建保六年六月二七日に勅使が鎌倉を訪れた際の行列の殿上人一行の中に前因幡守師憲がみえることからすると、前伯耆守親時ではなく前因幡守師憲が正しいと思われる。ただし、師憲についても関連史料はない。
 次に伯耆守の名がわかるのは承久の乱後に補任された藤原尹輔である。前任者ないしは知行国主が承久の乱との関わりで失脚したことが考えられるが、その具体的名前と、後任の尹輔については不明である。

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