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2018年3月 1日 (木)

鎌倉中期以降の隠岐国司2

 代々官務(左大史上首)を務めた小槻氏は、鎌倉時代初期に小槻永業を祖とする大宮官務家と弟の小槻隆職を祖とする壬生官務家に分裂して官務の地位を争った。季継は永業の曾孫にあたる。元仁元年(一二二四)に壬生官務家の小槻国宗(隆職の子)が没したのち官務の地位に就くと、九条道家と結んで壬生官務家に押されがちであった大宮官務家の基礎を固め、以後死去まで二一年間にわたってその地位を保った。この間に修理東大寺大仏長官・備前権介・紀伊守・筑前守を兼任している。また、摂関家九条家の家司を務めた。この秀継の子が秀氏で『左大史小槻季継記』の著者である。
 正応五年四月一三日の除目では隠岐守に藤原憲房が補任されたが、正安二年二月二五日には某敦盛に交替している。ともにこれ以外の史料を欠いており、系譜上の位置づけは不明である。正安元年七月一一日北条貞時書状には隠岐前司がみえる。霜月騒動で没した二階堂景行の子泰行である。次いで同二年一一月二四日には藤原雅任が補任されたが、これも翌三年三月一四日には尾張守に遷任し、同年四月五日には藤原基貞が補任された。以上のように四年任期を全うする例はほとんどなく、短期間で交替している。元亨三年(一三二三)一〇月二六日の北条貞時一三年供養記には佐々木隠岐前司(清高)がみえている。建治元年の隠岐守佐々木時清の嫡孫である。
佐々木義清  一二二七.三~一二二八.五以前   不明
藤原業俊   一二四〇.一~
中原景資   一二四五.一二~一二四六.閏四   後嵯峨院ヵ
某      一二四六.閏四~
源親平    一二五六.一〇~                源資平
二階堂行氏  一二六一.七
藤原広能   一二六七.一一
佐々木時清  一二七〇.一~
二階堂行景  一二八〇.一〇~
三善盛時   一二八三.七~                  洞院公守ヵ
大夫将監時通 一二八六.四~                  藤原兼仲
某清成    ~一二八八.一以前             
源能憲    一二八八.二~一二八八.三   堀川顕世
小槻秀氏   一二八八.三~一二九〇.一二~ 堀川顕世
藤原憲房   一二九二.四~
二階堂泰行  ~一二九九.七以前
某敦盛    ~一三〇〇.二~
藤原雅任   一三〇〇.一一~一三〇一.三
藤原基貞   一三〇一.四~
平秀度    ~一三〇二.八月以前
佐々木清高  ~一三二三.一〇以前

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