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2018年1月 3日 (水)

船村山脈の行方4

 船村山脈の行方としたが、船村の影響で作曲家、作詞家となった人も多い。三木たかしや北島三郎の「函館の女」以下のシリーズを作曲した島津伸男も歌手になろうとして船村の弟子となった人である。三木の場合は若くして妹の黛ジュンとともに入門したが、早々と作曲家としての資質を指摘され、方向転換したものである。作詞家木下龍太郎氏(「わすれな草をあなたに」「鳥取砂丘」)は小学校の5年先輩に船村氏がいたので、自分もそれに肖って作詞家を目指したとする(ただし2008年死亡)。総勢300人と言われる船村門下生であるが、問題はそれが今後も継承されるかである。
 船村の長男蔦将包は船村作品の編曲を手がけ、最近は作曲も行っている。特集番組では俳優をしていた次女が登場していたが、長女は高校卒業後、作詞・作曲の世界に入った。父の影響か曲が難解であるとして評価されなかったため、CMの唄を作成しつつ、作詞に専念するようになったという。「真名杏樹」との名で、岡本真夜と共同作詞の「TOMORROW」(岡本唄)や「歌われなかったラブソング」(都志見隆作曲)など織田裕二の初期の作品を数多く手がけている。最近では星野哲郎の息子有近真澄作曲・歌唱の「あなたを知らないほうがよかった」の作詞を真名が行っている。二人の父とは役割が逆転した形である。
 異色の弟子としては音楽評論家小西良太郎、ギターリスト斎藤功もいるが、小西は80才、斎藤も70才をすでに越えており、世間の常識によれば20年後には没している可能性が高い。二人とも船村の弟子という以上にそれぞれの分野の第一人者で誰にも代えがたい人材である。
 以上とりとめもなく述べたが、今回はこれで終わることにする。大半はネットで得た情報をまとめたものにすぎないことをお断りしておく。第二のひばりと言われながら船村のもとから独立していった黒木梨花(大黒裕貴)も、船村作品でヒットしなかった秀作を集めたアルバム(11月発売)に自分の作品が2つ含まれていることを知り、それも1曲はデビュー曲「日本海は冬ですか」(水木れいじ詞)のB面であった「哀唱譜」(石本美由紀詞)であることを知り、感慨が深そうである。米子市出身であることもあってアルバム『明日の華・黒木梨花・船村徹作品を唄う』を過去に購入したことがあった。結果として船村の原点となった高野公男との作品(別れの一本杉、男の友情、あの子が泣いてる波止場、早く帰ってコ等)には触れることがなかった。星野との「夜が笑っている」「なみだの宿」、石本との「柿の木坂の家」、美空ひばりとの「波止場だよおとっあん」、「ひばりの佐渡情話」島倉千代子「東京だよおっかさん」「悲しみの宿」(島倉のレコーディング1000曲記念曲)もである。

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