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2018年1月 3日 (水)

船村山脈の行方3

 誰が最も船村メロディをレコーディングしたかとすれば、約70曲ある舟木一夫ではなかろうか(76局の鳥羽一郎が最多であった)。舟木の叙情歌というジャンルを確立したのは1966年の「絶唱」(西条八十詞)であるが、これは当初同名の映画を主題歌なしで作成するはずが、やはり必要ということで、たまたま市川昭介氏(畠山みどり、都はるみ、水前寺清子のデビュー以来の作品や、大川栄策「さざんかの宿」、村田英雄「みなの衆」がある)が舟木に是非唄って欲しいとして作った曲があり、聴いてみると良いとのことで、西条八十のもとに持ち込んで後付けで詞が完成したものであった。これに対して翌年の映画「夕笛」は当初から主題歌が作られ、西条の詞に船村が曲を付ける形で誕生している。
 西条作詞、船村作曲と言えば、年末の紅白で福田こうへいが唄った(実際の番組は視聴はしていない)「王将」が有名である。坂田三吉をテーマにしたこの作品は西条にとっても会心の出来であったが、ただ一つの不安は、現在このような作品が受け入れられるだろうかというものだった。これに船村が曲を付け、村田英雄が唄った。村田は浪曲界から古賀政男によって歌手とされ、作品を出したがいずれも不発であった。そこで船村作品となったが、古賀にとっては複雑な思いの作品であった。村田本人にとっても西条と同じ思いで、当初は気が乗らず、「うまれ浪速の八百八橋」の部分を「やおやばし」と唄っていたという。完成後、船村はヨーロッパに渡り2年滞在し、ムスタキ氏や無名時代のビートルズと出会っている。王将のヒットで村田の過去の古賀作品「無法松の一生」「人生劇場」が相乗効果でヒットしたという。
 話がそれたが、舟木作品にもいくつもの佳作がある。船村・猪又良といえば「新宿情話」が有名だが、同じコンビの「春哀し」、ちあきの作品に多い船村・吉田旺コンビには「津和野川」「むかえ火」もある。近年のものとしては同コンビによる「晩秋歌」(鳥羽一郎唄、2014年)もある。「ブルートランペット」(古野哲哉詞、舟木唄)のように、トランペットを有効に使った作品も多い。星野作詞の「海の祈り」「兄弟船」「海で一生終わりたかった」「海鳴りの歌」等である。
 その複雑な家庭環境から自殺未遂を繰り返した舟木は歌手をやめようとしたが、船村からの「誰が夕笛を唄うんだ」との電話を受けて、歌手を続けたという。その舟木も74才となり、「夕笛」をカバーしたのは船村自身とちあきなおみぐらいである。最近では船村の内弟子から歌手となった走祐介が「夕笛」や「その人は昔」(松山善三詞)をシングルの新作とともに吹き込んでいる。村木弾のデビューを舟木に委ねたものそのあたりを意識してのことであろう。歌手あっての船村メロディである。

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