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2017年6月 6日 (火)

悪貨が良貨を駆逐しないために

 久しぶりにコメントがあったが、3月に述べた「竹島外一島」についてであった。コメントをされた方の論文はそれを書く際に読んでいた。また、それに関係する「少数派」と称する人々のコメントも同様である。今回のコメントの最後は見ていただければわかるように「この問題はいろいろ考えるべきことが多いですね」というもので、これそのものはとりたてて問題とはならない。ただ、記事で述べたように、論者は杉原氏を高校時代から知っており、大学で学んだ東洋史を生かして東アジアの中における日本の問題を論じられていた。それが竹島研究所にかかわられた中で記されているものを読むと大きな違和感を持ったのである。
 杉原氏は一方の見解にとらわれないで述べるとされているが、実際にまとめられた作品からはそのようには読み取れないのである。それ以上に気になったのが「少数派」の主張で、某首相(ASS三人組は嘘つきトリオである。公益通報者保護法があり、当然出所が明らかでなくても調査が必要)と同じく答えが最初から一つしかないからであろうが「相手の主張に対しては100%証明されていないとして無効とし」、逆に「自分の主張は可能性が0%でなければ有効」とするものである。最近、理系の研究者(退職され東大名誉教授)から、自分の先祖に関係する人物を研究しているとして、何度かメールをいただいた。その人物についての通説は五味文彦氏の指摘により覆っていた(その人物の事蹟とされてきたことは同名の別人に関するもの)が、自分はそうは思わないとして、ネットの検索で関連していたことを述べた当方に連絡があったのである。
  当方は五味氏が通説が成り立たない根拠とされた文書は偽文書であることを論文で明らかにしており、その意味では通説にもなおチャンスがあると思っていた。そこで自分でも別の観点から検討してみた。その結果は、通説で一人の事蹟とされていたものは、五味氏の指摘のように同名の別人二人の事蹟に分けて考えなければならないというものであった。その事は研究者の方にも伝えたが、なかなか理解していただけなかった。その時に受けた感想が、さきほど述べた少数派の主張と同じであったのである。
  以前もブログで述べたが、ネット上の主張の中には根拠を示さないものが大変多い。少数派の人々は根拠は示しているが、現在の日米首脳と同じく論じる際のユニバーサルデザインから遠く離れたものである。その中身のない言説がネットを閲覧する若い人々には影響をしているから問題である。お隣韓国の大統領選挙では前回も若い人々は文氏に投票していた。格差の解消が最大の課題と思うからであろう。ところが日本の若い人、とりわけ男性はその逆なので、その事を期待して18才選挙権が何の準備もなく唐突に導入された。過去に「女子大生亡国論」なる暴論が主張されたが、現在の日本の閉塞状態の原因は若い男性の「学ばない、考えない」状況にある。当方も3月までは県立高校の地歴・公民科の教員であったが、「メディアリテラシー」が必要不可欠なことは教科書・資料集で必ず述べてあった。ところが、物事を考える際に、時には「最初に戻って再検討すること」が必要となるが、それができない人がほとんどである。それは歴史の研究者でもそうであり、自分の論文の末尾には必ず、「論文を書く際に念頭にあるのは大学で中世史の世界に導いていただいた故石井進氏の”論文は数多く発表されているが、本当の意味で論文と言えるものは少ない”との言葉である」と結んでいる。このブログもその一環である。現状に安住せず、「若人よ大志を抱け」との言葉が今こそ必要である。

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