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2017年5月 2日 (火)

最近の状況2

 遅ればせながら、『昭和の子』を読了した。そのもととなった弦書房HPにアップされたブログとの比較・対照はしていないが、結果としては刊行がなんとか間に合ったところであろうか。
 三原氏は1937年生まれで、松江四中では自分より19年先輩となる。同年生まれとしてすぐに頭に浮かぶのは美空ひばりであるが、彼女についても3人娘(江利チエミ・雪村いずみ)それぞれの個性の違いに関して言及し、「日本人の英語文化の受容は、ひばりのやり方に一番近い」として、それが自身のひばりへのわだかまり(「アメリカ文化」受容への嫌悪)だったことに気づいたと記している。
  本の中でも同年生まれの人物として作詞家阿久悠や小説家佐木隆三が登場する。阿久はひばりの唄を書きたいと思いつつ、屈折した想いがあったという。偶々、阿久の特集番組をユーチューブで視ていたら、「舟唄」はひばりを想定して書いた詩であったが、結果として浜圭介が八代亜紀用に作曲して大ヒットしたことが述べられていた。その番組では自分が「時代と合わなくなっている」と述べる阿久の映像も紹介されていた。
 以前から気になっていた曲に阿久の詞に過日亡くなった船村徹が作曲し五木ひろしが唄った「遠い日」がある。五木の「55才のダンディズム」というアルバムに収められている。全曲とも阿久悠作詞、船村徹作曲で、その中から2002年6月には「傘ん中」が、12月には「愛のメリークリスマス」がシングルカットされていた。それがたまたまユーチューブにテレビで五木が「遠い日」を唄った映像がアップされていた(ただし映像と音がずれている)。最近のアップで視聴者も少ない。この曲を知っているのはよっぽどの五木ファンであろう。自分は作曲家船村徹への関心からアルバムを購入して知った。大衆音楽で初の文化勲章受賞者となった船村だが、21世紀に入っての作品はユーチューブ上にはこれと「傘ん中」「二行半の恋文」(同アルバム)「花ひばり」(美空ひばりの詞に船村が作曲し2012年発表)だけではないか(その後、今年発売の伍代夏子「肱川あらし」があることを知った)。五木が船村作品をシングルで唄うのは1990年8月発売の「心」(星野哲郎作詞)以来である。気になったのは冒頭の「今日より明日がよくなると信じて生きた日があった‥‥誰もがそう思っていた」と3番冒頭の「時代は急に早くなり希望も夢も遠い日に‥‥少し不足の世の中の人の元気さ美しさ、どうして近頃なくなった」の部分である。まさに現代の日本に対する阿久の想いであろう。詞というよりも作品そのものが昭和を体現しているのは「昭和エレジー」(吉田旺作詞・船村徹作曲、ちあきなおみ唄)で、30年近く前の作品でアルバムのみ収録曲だが、ユーチューブ上ではアクセスが100万回を越え、2年前に岩本公水によりカバー曲としてシングル盤が発売されている。
 話を元に戻すと、『昭和の子』の最終章に、前回のブログで触れた高校の社会科の研究会の講演での「ショック」について述べられていた。「詰問」をしたとされる人は団塊の世代で、退職後非常勤講師として高校に来ていただいた同僚であったが、自分も宴会の席で「無礼者」と叱責をされた経験を持つ。もとよりその主張には同意できないが、『昭和の子』の中で紹介されたように『きけわだつみの声』が戦没学徒の手紙を取捨選択して掲載していたように、「戦後民主主義」の具体的あり方にも問題があったことは確かである。
 自分を中世史の世界に導いていただいた大学の1級先輩であった山中恭子氏(現山室恭子東京工業大学教授)が中世史研究の本流に対していだいた疑問とも関わる気がする。氏は現在は江戸幕府の経済政策を研究しつつ、大学ではディベートや議論の方法を理系の生徒に指導しており、自らが育てられた中世史の世界からは離れてしまった。「高校の1年先輩の湯沢さん(現久留島典子東京大学副学長)が研究者の途を選択されたので自分も続いた」としていた久留島氏とも交流は絶えている。

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