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2017年2月14日 (火)

[竹島外一島」について2

 それは氏の論考で紹介された青森県と千葉県の人が明治9年時点で鬱陵島を「松島」と呼んでいるのに対して、10年1月に渡海申請をした島根県の人は「竹島」と表記していることからも明かである。政府の役人のその時点での理解は最初に「竹島」と呼んで島根県に回答を求めており、島根県と青森・千葉の人の中間的なものであろうか。島根県側もその事を踏まえた上で、「竹島・松島」ではなく「竹島外一島」と表記して質問した。これに対して、内務省はとりあえず所持する鬱陵島=竹島に関する情報を集めて、太政官に意見を伺った。島根県の資料で政府も竹島と松島が別の島だということは理解したが、松島=現竹島についてはどこまで理解していたかは不明である。しかし自らが関心のあった過去の状況を踏まえ、「竹島外一島」として二島とも日本とは無関係と回答した。杉原氏の述べるように、鬱陵島のみについて回答したものではない。政府としてはそれで十分であった。そして、それを受け取った島根県は「竹島外一島」は二島とも日本には無関係とすることになる。それでなければ地籍調査の必要性の有無は判断できない。
 次いで、「竹島外一島之儀本邦関係無之について」再考-明治十四年大屋兼助外一名の「松島開拓願」を中心に-」(2009年)では、明治14年の2つの島根県の事例が紹介される。この時点では島根県も鬱陵島=松島として他県の解釈に合わせた形で照会しているが、一方ではこの松島が鬱陵島であることを明確にするため明治10年の竹島のことだとして竹島・松島の表記もしている。以後は島根県でも、鬱陵島を松島と呼んでいく。このレポートでは「明治10年の「竹島外一島之儀本邦関係無之」は、竹島(鬱陵島)と松島(現在の竹島)は日本に関係がないとしたものではなくて、竹島とも松島とも呼ばれている島(鬱陵島)が日本に関係がないとする解釈に分があるように思われる。」と述べるが、一島のみを述べたものでないことはすでに述べた通りである。現在の領土問題の対象である「竹島」について、自国とは無関係でなければ、その旨をはっきりわかる形で述べるはずである。すべては鬱陵島の帰属に関心があり、「竹島」にはあまり関心がなかったのである。それを「竹島」は無関係だと回答したものではないというと、島根県への回答ではなくなってしまう。
  今回の事件の背景として、朝鮮政府が15世紀初め以降継続してきた鬱陵島の空島政策と、この間の日本側の漁業技術の進歩があった。17世紀後半に両国の間で鬱陵島をめぐる対立があった際とは状況が変わってきた。とはいえ、問題の「竹島」での漁業のためには、その拠点としての鬱陵島の存在が不可欠であった。誤解なきように記すと、だから「竹島」も朝鮮領であるとの主張には賛成しかねる。日本人による鬱陵島と竹島への働きかけが、鬱陵島で朝鮮人を雇用した形で進んだことで、朝鮮側の「竹島」への認知度を高めたのである。「竹島」は近代以前は特定の国の領土といえる実態は持たなかった。

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