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2017年2月14日 (火)

「竹島外一島」について3

 第2期の中間報告書(2011年2月)には氏による「明治10年太政官指令‐竹島外一島之儀ハ本邦関係無之‐をめぐる諸問題」が収録されている。ここでは1877年3月29日の太政官指令直前の3月17日に内務省から提出された4号の文書が検討される。当然、細部の検討は内務省で行われ、それを踏まえての決定であった。島根県から提出された資料が添付されなかったのはそのためである。
 この4通の資料には鬱陵島のみについて記されている。そこから氏は「内務省から太政官への伺いや太政官からの指令で「竹島外一島」という表題を用いているもののそれは稟議書によくみられるように元々の島根県の伺いにあった表題をそのまま案件名として利用しただけで、太政官は、鬱陵島が日本と関係ないと指令を出した可能性が濃厚である」と2008年に最初に論じた自論を補強された。
 ついで氏は明治14年の「松島開墾願」を検討され、氏は「松島については最前指令の通りであり、松島開墾は不許可」とされていた資料を発見し、ここから「竹島外一島」が実は鬱陵島のことであることが明確となったとされた。この見解は妥当であろうか。すでに述べたように、政府は「竹島外一島」の中で鬱陵島問題を重視し(その時点でも青森・千葉の人から開発願いが出ていた)、島根県の質問に回答している。「竹島外一島」が二島であった場合、今回の政府の指令が理解できないとされる氏の論が、自分としては理解できない。根拠にはならないことが明確なのである。氏の言われるように明確ならば、従来の見解を変更する研究者が続出したはずである。多くの研究者は根拠に従いこの問題を検討している。日本と韓国の政府関係者はとにかく自国の論を補強するもののみを強調するが、多くの研究者はそうではない。
 ただし、研究者にも思い込みがあり、正しいと思われてきた研究が結果として事実ねつ造していたことは珍しいことではなく、本ブログでも繰り返し従来の研究の問題点を誰でも理解できる根拠を示して述べてきた。杉原氏からは自身の確信が多くの研究者の見解を変えなかったことについて分析し、研究者の誤った思い込みを明確にしていただければ幸いである。ネット上で杉原氏の見解(これはオリジナルなものである)をそのままなぞって自説が正しいとする人がいるため、是非ともお願いしたい。この文も杉原氏の調査・研究を前提としてはじめてまとめることができたものであることは確実であり、氏の作業は大変意味があるものである。自身、高校時代に氏から世界史を教わった経験を持っている。氏の見解について検討したものに竹内猛氏の論文がある(郷土石見)が、その見解は十分学術的批判に耐えうるものと考えるがどうであろうか。

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