koewokiku(HPへ)

« 布志名判官の一族 | トップページ | 安芸国人一揆後の安芸国守護1 »

2016年9月19日 (月)

室町期の佐々木氏と京極氏3

 木下聡「室町幕府外様衆の基礎的研究」(『東京大学日本史研究室紀要』第15号)をネット上で閲覧したので、そこでの情報を付け加える。
 この論文から検索をする中で、「足利義政飯尾亭御成記」(宮内庁書陵部、寛正七年二月二十七日)に内衆進上分として、佐波民部少輔元連がみえることを確認した。元連は宝徳元年には出雲国赤穴八幡宮領を押領したとして所領を没収されるとともに、出雲国守護京極氏が派遣した軍に攻撃を受け、降伏した。その後、押領の犯人が佐波氏庶子の明都賀や井本らの策謀であったことが判明し、佐波氏惣領は所領を回復し、康正二年の造内裏段銭注文にも佐波郷の段銭を佐波民部大輔が納入している。
 出雲国については満済准后日記正長2年3月21日と22日条で、23日の将軍義教の御参内始めの際の御太刀帯御番について、京極六郎と同佐渡守子孫九郎、京極氏庶子黒田と兵部少輔の順番が問題となった。満済は今回、六郎と黒田がそれぞれ孫九郎と兵部少輔の下﨟との管領からの命令に対して不満を漏らしている。この兵部少輔が宍道氏であろうとの木下氏の説は従うべきであろう。兵部少輔は宍道氏2代目の高益であったが、間もなく死亡したようで、弟の遠江守高慶が3代目の惣領となる。 康正2年の「宍道兵部少輔」は高慶とその子慶高の両方の可能性があろう。
 次いで、今谷明氏が紹介して知られるようになった「東山殿時代大名外様附」(15世紀末)には、外様衆として「佐々木能登守」「同遠江守」「同隠岐守」がみえる。能登守は京極氏一族井尻氏、遠江守は宍道氏である(木下氏は遠江守はどの系譜につながるか不明だとしている)。宍道氏惣領は高慶以降は「遠江守」→「兵部少輔」の順に昇進するようになる。これに対して初めて登場したのが隠岐氏である。隠岐国守護代であり、木下氏はこの頃特別に幕臣扱いされて外様に列したのかもしれないとされるが、具体的理由は述べられない。この当時、出雲国守護代であった尼子経久は追放されており、これに代わるものとして隠岐氏が組み込まれたのであろうか。
 以下、一番衆には「佐々木吉田弥三郎」、二番衆には宍道氏庶子「佐々木延福寺五郎左衛門尉」と「佐波兵部少輔」が、三衆番には「佐々木塩冶三河守」「同五郎左衛門尉」が、五番衆には「佐々木岩山」「朝山次郎」がみえている。以上、補足をした。

« 布志名判官の一族 | トップページ | 安芸国人一揆後の安芸国守護1 »

中世史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 室町期の佐々木氏と京極氏3:

« 布志名判官の一族 | トップページ | 安芸国人一揆後の安芸国守護1 »

2021年6月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ