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2015年6月21日 (日)

理由を述べられない人達

 ネット上で発言する人達の多くは、意見は述べるがその理由を述べない(述べられない)。これでは何のための投稿かと思う。理由が述べてあれば、他の人との対話・意見交換につながるが、なければ難しい。「理由を述べて」と要請しても「理由はない」「理由は述べられない」「自分の意見のどこに問題か」という程度であろう。
 中には「確信」しているといいながら、その理由が述べられない人や、公の場で根拠も確認せずヤジを飛ばしてしまう人もいる。この人物が論理的思考ができずに、子どもの頃にすり込まれた情報に基づき発言・行動していることは誰もよく知っている。まさに「未来志向」ではなく「過去への復帰」「時代おくれ」である。私的な立場ならともかく、公的立場にある場合は放置しておいてよいわけがない。国政は子どものおもちゃではない。
 砂川事件の判決を引用する人がある。これが裁判官の良心に基づく判決であるならばまだ見るべき点もあるが、そうではなくアメリカから政治的圧力を直接受けて出させられた判決であることは、現在では100%証明されている。引用する人からすれば、「これを除いたら根拠がなくなるじゃないか」が本音であろうが、問題はそれを放置している周りの人達(特に問題なのは自分は賢いと思っている人達)にもある。きちんと言えば、二度とこのような妄言は出ないと思う。
 「国際的環境が変化した」というのも、少年法改正を主張する某政調会長が述べた(に限らず、これを主張する人の決り文句)「少年犯罪が凶悪化している」と同じく、検証を欠いた理由である。ある場面では賢く、ある場面では愚かであるというのはすべての人に当てはまるが、公的立場の人は、対話を通じて「愚かさ」を修正・緩和する必要性が大きい。
 このように、本人は理由を述べているつもりでも、実際には述べていない場合もあるので、本ブログは「資料の声を聴く」として発信している。理由は十分述べているつもりだが(後で訂正することもあり、そこが論文として発表することとの違い)‥‥、最後は読んだ人の理由に基づく(根拠ある)判断に依る。要は「理由を述べて議論しましょう」と言いたいのである。

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