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2014年1月 2日 (木)

2014年~オーウェルのあの年から30年1

 久しぶりにinspiron9200を起動してこの文章を入力している。ネット・ワープロ・表計算ならまだまだ十分使える。とはいえ、ほぼ同じ筐体のprecision6300Mの方が、ややキータッチはよいか。はじめてのWUXGAということで購入したが、しばらくはほとんど使わなかった気がする。今見てもやや文字が小さいか。ただ、慣れてしまえば、作業領域の広さは有利な点となる。
 1925年の治安維持法について、制定する側の若槻礼次郎内務大臣はあまり問題を感じていなかったとの朝日新聞(2ヶ月ほど前、家族の折り込み広告をみたいとの要請を受け、広告のほとんどない中国新聞から変えた。中国新聞は朝日の専売所が配達しており、3ヶ月前に朝日に変えないかとの勧誘があった時は断ったのだが。朝日新聞の購読は初めて。中国の前は毎日新聞であった。朝日のよいところは、書籍の広告が多いこと)の記事を見た。特定秘密保護法が成立した前後の記事であったと思う。日ソ基本条約が成立し、共産主義国ソ連の影響力が強まるという見通しによる法案であったが、それ以前にも同種の法案が提案され、廃案になっていた中での、成立だったと今頃知った。1928年の改正が緊急勅令によるものであることは認識していたが、それが田中内閣の改正案提出をうけた衆議院での議論で問題点が指摘され、世論の反対も強かったため審議未了となった直後の緊急勅令による改正が強行されたことは認識せず。当然、何度か近代史の本を読む中で知っていたはずであるが、記憶には残っていなかったことになる。
 その後、衆議院で事後承認のための審議で反対した山本宣治議員が、3月5日に右翼七生義団の37才の会員に刺し殺されたことは知っていたが、山本が41才であったことも認識していなかった。そして加害者が4月30日に保釈出所したとの事実にも、あきれてしまった。殺意はなかったとして刑を軽くしようとする動きもあったが、その後の裁判では懲役12年の刑を宣告され、実際には6年後出所した。本人の弁では成功報酬を約束されて犯行に及んだが、逮捕後は依頼者からは連絡がなくなり、依頼者そのものは戦後には国会議員となって大臣にまでなったとされる(明証は示されていないので、依頼者の個人名は省略)。この時期の日本社会は確実に悪い方向に動いていた。[朝日は初めてというのは記憶違いだった。以前、日本の歴史を発行していた際に購読していた]

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