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2013年1月

2013年1月27日 (日)

Windows8へのアップグレード

 特別アップグレードの〆切が近づいている。これまでは自分用の3台をアップグレード(ダウンロードで)した。5台までなので残り2台(これはすでにパッケージ版を入手)をどれにするか思案中だが、家族の使用しているものもあり、これも問題だ。古いPCの動作が軽くなったとのレポートもあるが、動作しなくて大変だったとの情報もある。これまでのところは、安全を期して?Window7のドライバーがメーカーから提供されているものを、アップグレードした。
 最初は間違えて、アプリケーションは引き継がない形でDELLのE5500を行った。アプリの再インストールが必要だったが、とくに問題は生じていない。次ぎにE6400 はアプリを継承して行った。すごく時間がかかったが(原因は?無線だったから)、特に問題は生じていない。3台目がビデオカード増設で起動しなくなり、中古のマザーボード(購入時貼付されていたのはビスタまでのドライバー)購入でよみがえったAMD自作機(こちらは有線でスムーズ)であるが、ブラザーのプリンターの状態を表示するソフトともうひとつ(名前は憶えていないが、ネット上に同様のものがいくつもあった)がストップするが、それを除けば、印刷もできるし、問題はない。ただし、ログオフしてから次の画面が表示されるまでの時間がやけに長い。
 これまでのPCより古いGM965 のタイプについてネットで情報を集めたが、Windows7までで我慢しておいたほうがよさそうな感じである。akibaPCホットラインで紹介されたいたものもよく見ると45GMのタイプであった。すでにやってしまったが、もう少し情報を集めたほうがよかった。たまたま大きなトラブルは発生していないが。あとノートPCはそれほど使っていない機種でもあり、windows8の操作に慣れずにとまどったが、デスクトップで1日使って、だいたいの様子はわかってきた。(補足:5台までなのは、期間中にwindows7搭載PCかDSP版7を購入した際の1200円アップグレードであり、それ以外のアップグレードはやはり3台までだった。ついついDSP版を購入し、windows8proを1200円で入手したが、最後の最後にコード番号を入手して、25800円が1200円になるというもので不安を持ちながら行う)。すぐにインストールせずに、USBに保存し、環境が整ったところで、マックブックプロをアップグレ-ドするか。ということで、DVDで入手したものは家族用のパソコンのアップグレードに使う予定。
 

2013年1月19日 (土)

液晶の交換

 久しぶりにCPUを購入した。core2-duoの省電力版L7800(2.0G)で、レッツノート用に使用されていたもの。一般的にはL7700(1.8G)までが利用されていた。通常版がTDP34Wに対して半分の17W版である。これを13.3インチ液晶のs8370に搭載した。それとともに、液晶をs8360用の14.1インチと交換した。後者がLEDタイプで省電力であるから。ところが、以前やったことがあったにもかかわらず、キーボードがとれずに立ち往生した。ネットで検索しても、このタイプは裏蓋をあけてHDDやCPUを交換したものがほとんどで、キーボードに言及したものはなかなか見つからない。以前はキーボードを剥がした気がするが、とれない(したの台ごととろうとしたのが間違いであったと後でわかった)。力をいれすぎてこわれてもこまるので、いったん中止した。
 再度調べると、2チャンネルで「くっついているのを剥がす」とあり、以前、液晶を交換してがらんどうになっていたS8360のことを思いだし、ようやく自信をもってキーボードをはずすことができた。そうするとベゼル付きの液晶交換は簡単にできた。S8370とS8360は半年違いで、ハード的にはほとんど一緒だと思うが、前者にはWIN7用ドライバが富士通によって準備されているのに対して後者はVISTAまでである。WIN7ならば、アプリなどの環境を残したままWIN8にアップグレードができる。液晶交換ができなければ、何のためのCPU交換かということになるところであった。WIN8への特別に安価なアップグレードが可能なのは今月中で、5台まで(当初は3台までとなっていた)である。
 これでL7500(17W)のS8350 、T7250 のS8360、L7800のS8370、SL9600のS8390とSU9600(超省電力版10W)のE5400、P9600(25W)のE6400(当初P9700としたが、これは28Wでバッテリーの消費が早かったので、液晶一体型に搭載)というラインナップとなった。このシリーズのキーボードはLIFEBOOKのHシリーズと同様キータッチがよい。現在は、クールマスター製のコンパクトキーボードで入力しているがややタッチが軽く、ミスしやすい。

2013年1月14日 (月)

多胡氏について

 多胡氏は上野国多胡郡出身の東国御家人であるが、関係史料は少なく、『吾妻鏡』にも承久の乱で多胡宗内が敵を討ち取ったことと、多胡宗太(文治元年10月24日、勝長寿院供養随兵。建久6年3月10日、東大寺供養)と多胡宮内左衛門太郎(嘉禎4年2月17日、将軍頼経上洛)の名がみえる程度である。また元亨3年には、多胡二郎四郎領が金沢・称名寺に寄進されている。とはいえ鎌倉初期からの御家人であったことは確認できる。  ところが出雲国では、承久の乱の恩賞として国内の重要所領3カ所を得ている。出雲郷は公領最大規模をほこり、乱までは在庁官人筆頭(勝部)資盛が支配していた所領であろう。隣接する竹矢郷は得宗領となっているが、これも資盛領の可能性が高い。出雲国内の八幡宮領の多くは勝部宿祢一族が寄進したものである。竹矢郷から八幡宮領となった平浜別宮は守護佐々木氏が地頭となっている。
 多胡氏領の残る2カ所は平田保(楯縫郡)と馬来郷(仁多郡)である。平田保は乱までは法吉郷とともに在庁官人勝部孝光が支配していたが、その子明弘が承久の乱と関わり両方とも没収され、孝光の孫広政は平田保地頭多胡氏の代官的立場を務める一方で国衙の庁事であった。法吉郷にも東国御家人渋谷氏が入部している。同様の例としては、乱以前に万田庄と多久郷を支配していた勝部明元がおり、明元の子明政は京方として討ち死にし、多久郷には東国御家人が入部し、明政弟元光が支配していた万田庄を明政と元光流で分割する形となっている。なお永仁6年7月日平田地頭惟宗頼直寄進状(鰐淵寺文書)により多胡氏が惟宗姓であることがわかる。
 仁多郡では、一の谷合戦に参加した横田兵衛尉惟行(澄)と三処郷地頭から横田氏跡の横田庄地頭となった三処長綱、大原郡久野郷地頭中郡氏との間に婚姻関係を結び(四郎重房)、南北朝期に三刀屋氏とともに山名氏方として挙兵した(仁田彦四郎)仁多氏、ならびに文永8年の比知新宮地頭阿井氏の存在が確認できる。地頭として生き残った三処氏と阿井氏の内、三処氏は六波羅探題北条時輔に接近して荘園領主石清水八幡宮との問題を解決しようとしたが、時輔の死により横田庄だけでなく三処郷も幕府(得宗)領となり、没落した。仁多氏は苗字の地である「仁多」がどこなのかという問題はあるが、仁多郡を支配する勝部氏一族の惣領であったであろうが、地頭の地位を失い、その回復のため反幕府方である山名氏と結んだ。馬来郷については史料を欠くが、やはり出雲郷・平田保とならぶ勝部宿祢一族領として与えられたものであろう。その意味で多胡氏は注目すべき存在である。(補足)多胡頼直寄進状の末尾には寄進した田に乱妨があれば、(鰐淵寺は)守護挙状を帯して上裁を仰ぐべしとあり、多胡頼直が守護佐々木氏と密接な関係を持っていたことがわかる。

バックアップ(4)

 その後、注文していたマザーボードが到着し、入れ替えてスイッチを入れると、何もなかったように起動する。ところがドライバーをインストールしようとしたら急にシャットダウンした。なぜかCPUのファンが動いておらず、強制的にシャットダウンしたもよう。とりあえず、つなぎなおして再起動できた。メールはShurikenの機能を使ってバックアップした。
 結局、ビデオカードの初期不良であり、アンラッキーであった。不幸中の幸いとしては、中古のマザーボードが未使用のものであり、中の掃除を含めてリフレッシュしたことか。次のメイン機の準備も必要かもしれない。ただビデオカードは、業者には在庫が無く、修理対応とのことで時間がかかりそう。とりあえずはマックブックプロでWQHD表示を使う。そこで、ふと思ったのが、WQHDの側をメインにしてみたらということで、そうすると何のことはなく、回転も可能であった。とはいえ縦が長すぎて特別な用途以外は使わないか。ネットでみると、モニターはHDMIでのWQHDにも対応しているそうなので、NVIDIAのビデオカードでもよかったことを知り、複雑な気持ち。ただ、ゲーム用ではないビジネス用のビデオカードがあればよい。文書作成、CADなどに必要十分であればよいのだから。
 モニターそのものは輝度を100から0まで設定でき、十分目に優しいもののようだ。EIZOと違い、低輝度でちらつきを低減する機能はないが、とりあえず問題はない。この文はロジクールのキーボードで入力しているが、コンパクトなためにややミスタッチがある。

2013年1月 6日 (日)

バックアップ(3)

 現在はMacBookProの17インチで入力している。キータッチは本当によい。難を言えば最近はやりの平べったいキーボードであろうか。外付けのタイプを購入したが、ミスタイプが多く、ほとんど使っていない。ということで、本日、電源ともにロジクールの無線キーボードとマウスを合計約4000円で購入したがまだ、動作確認もしていない。ワイヤレスも大半は平べったいタイプのものだったが、型落ちになるのか、安価なものが1つ残っていた。レシーバーは共通なので、とりあえず2台のPCで使うことができる。無線のキーボード・マウスは、TV機能のあるデスクパワーで使っているが、キータッチがいまいち。なぜ大切な部分にお金をかけないのであろうか。今はわからないが、以前の日本車の後部座席はほんとうにプアーな造りであった。その理由は、アンケートで後部座席に人を乗せることが日本では極めて少ないからだったと思う。その点欧米は本来が椅子のの文化で、キーボードによる入力もタイプライターの伝統がある。
 現在の日本にはそのような伝統があるがゆえに「さすが」と思わせるものは残っているのだろうか。そのあたりに明治維新の問題点がある。捨ててはならないものまで簡単に捨ててしまった。その傾向は今にも続いている。「維新」の名称を「大阪」で使って欲しくないと言った山口県もどきの政治家がいたが、もう少し「維新」の功罪について勉強し直してほしい。ほとんど東京で育っていると思うが、自分の心の中で「山口」を思うのはいい。しかし「山口県産」と外に表示がしてあれば、まさに「産地偽装」となる。その点は「鳥取県産」の御仁も同様である。誰にも2人の親がおり、10代さかのぼれば、1024人のご先祖様がいる。その中の一つのみを取り上げて何の意味があるだろうか。確認するが好みの問題として心の中で思うことには何の問題もない。
 

バックアップ(2)

 メイン機として使ってきたので史料データも大量に入っており、さあ大変である。また、アドビのCS6も認証解除がしてないので(壊れるとは思っていないので当然だが)、とりあえず調べてみると、再インストールの際に連絡してみるしかなさそう。マイクロソフトだと、電話で状況の質問を受けたあと新たな長い長い番号を教えてもらって再インストールできるので、いいのだが。これもソフトウェアの著作権の認識のない人々が多いからであろうか。アドビもCS2から使っている(4、さらに6が出るまえに5.5の6への無償バージョンアップ版を購入して、6も入手)が、認証も段々と厳しくなってきた印象がある。マイクロソフトも、従来は同じパソコンの別ドライブにOSを入れた場合は1ライセンスとしていたが、1月15日からは同じものでも2ライセンスとして認証を厳しくするという。マイクロソフト・アドビの両者ともバックアップを含めて2台までのインストールを認めている(これはOSではなく、オフィスなどのソフトの場合)のが同じだが。ただし、2台のPC同時に使うとライセンス違反となる。アドビの良いところは、認証を解除して別のPCにインストールしても認証が可能だということであるが、今回のように予期せず起動しなくなった場合は困ってしまう。とりあえず、同じマザーボードの中古が1つのみヒットしたので注文したが、認証はどうだろうか。以前にもメイン機が急に壊れたので、その環境を再現するため、同じマザーボードの中古を入手してなんとか対応できた。こちらも電源を入れ替えたりして、ほんとうに久しぶりにスイッチを入れたが(HDD内のデータをコピーして取り出すため)、最初の画面で固まってしまう。しかたないので、USB接続でSATAのHDDを外付けにするアダプターを探して、繋いでみたら、なんとか中のデータは残っており、そのコピーをしているところ。ノート用HDDならアダプターも多く簡単なのだが、デスクトップ用HDDは電源を別に供給しないといけないのであるが、以前購入したコンセントとHDDの電源スロットをつなぐアダプターもみつかった。ただ、これだと遅い。
 もとのPCも起動はしてDVDドライブが使えるので、CDから起動するバックアップソフトでHDDを丸ごとコピーするという方法もあるが(もとのHDDは640Gで、以前アトムで自宅サーバーだといって組んだPCでほとんど使っていないものに1TBのHDDがある)、とりあえずである。
 大変な散財に発展しそうな予想もあるが、とりあえずデータの取り出し方を知っているのでよいが、そうでない人にとっては、データが使えないというのは本当に絶望しそうなショックを受けるであろう。HDDのシステム部分に異常がなく、中古のマザーボード(動作はするが、状態は?であるが価格は5000円弱。確か元のものは3~4年前に新品を6000円台半ばで購入したと思う。とりあえず現在ところろオークションにはなし。以前のものはノートPC用CPUをオーバークロックして使うということで有名になったものであったので、よくオークションに出品されていた)で認証が通ってくれるとよいのだが。とりあえず今可能なことを行っておくしかない。

バックアップ(1)

 ビデオカードが到着し、さっそく増設してモニターにつなぐ。DVIでWQHDが表示され、さらには、回転や他の解像度も選べるようになった(マックではQWHD横固定のみ)。と、ここまではよかったが、大変なトラブルへと発展した。よくみると、モニターの中で小さなつぶつぶのようなものが動き、時には増えていく。ネットで他の画面へ移動すると、一旦はきれいになるが、すぐに出てくる。一太郎を起動しても同様である。
 ネットで調べるとこれを「砂嵐」と呼ぶそうで、CPUやビデオカードの接触部の問題や、電源の問題が原因となると書いてある。まったくの未体験ゾーンで、ストップはしないが異常な状態である。PC内のほこりをとってビデオカードを挿し直しても変わらない。電源はオンボード・ビデオではオウルテックのミニタワーケースに付属していた350Wのものを使用していた。この電源をマイクロタワーに装着し、そこにMSIのマザーボードを組み込んでいた。これまでは快調であったのに。今回はビデオカードを増設したので、手持ちの450Wのもの(剛力)に交換して対応していたにもかかわらず、トラブった。ネットで調べると全体のWよりも12Vのものが大切で、そこで値段が分かれるとのことで、5年前の剛力は12Vがやや少ない。そこで、もう少し余裕のあるものということで、PCショップに行く550Wで12Vも十分でネット上でも値段の割に良いというものの中古があり、ネットの新品の価格マイナス1000円で購入した。電源が原因かどうか不明な点もあり、とりあえずである。
 さっそく交換してみるが、やはり状況は同じであり、電源ではなさそう。ということで、ビデオカードを購入した業者に状況をメールしようと思ったら、再起動後の画面でブートディスクがないとの表示が出、HDDのシリアルケーブルを挿し直して、2度目の再起動をしたら、電源のスイッチを入れても動かない。マザーボードの電源、HDD、リセット、LEDなどのケーブルをピンからはずして差し直そうとしたが、対応関係がわからず、ネットでマニュアルを確認して、とりあえず電源スイッチを繋ぎ直す。前の電源ではとりあえず電源のファンが動いたが、新たな電源では何の反応もない。3度目にして壊れたかと思い、PCショップに持ち込んでみるが、正常だということで、わけがわからなくなる。相性もあるので返品して新品を購入してもらってもよいとのことで、メーカーが違うものを+1500円で購入。
 家に帰って繋いでみると電源は入ったが、入らなくなる直前の「起動ドライブがない」との表示が繰り返される。IDE接続のDVDドライブは認識されており、SATAが故障したもよう。ということでふんだりけったりか、事態は泥沼に入りそうな状況へ。ハードディスクごとバックアップしておけばよかったと思ってもあとの祭りだった。

2013年1月 5日 (土)

利便性とのつきあい方(3)

 displayport変換ケーブルが到着し、最初はつないでもモニターを認識せずあせったが、つなぎなおすと、何もなかったかのように、QWHDの世界を体験できた。ただし、MacでのWindows環境では、回転も他の解像度も選べず、固定である。字が小さければズームすれば問題ない。間もなく、ビデオカードも到着するので、デスクトップでは、回転も可能であろう。ただし、よくこの電源で4コアが動くなという環境であったので、電源の変更が必要な可能性が高い。当初はEizoのLEDタイプにしようと思ったが、Asusのものも評判が悪くなさそうなので、たまたまアマゾンで4千円ほど安くなったので購入した。当初は1月の終わりの発送ということだったが、早まり、すぐに到着した。とりあえず、既存の環境で確認しようとしたが、前回のべたように、できずに、変換ケーブルを購入した。
 最大の問題は目のつかれだが、いろいろ調整して試したい。今のところは、これまで使ってきた中古で購入した三菱のRDT21IH(EIZOのL997には及ばないが、目の疲れにくいもの、まだまだ活用する)よりは負担がありそうな感じである。Windows7の環境で使用しており、背景の壁紙がWUXGAまでしか対応しておらず、その外側はブラックアウトの状態である。
 
 最初に買ったモニターは飯山電機のXGAが可能な17インチブラウン管タイプ。EPSONの98互換ノートにハイレゾステーションで繋いでいたが、安くなりはじめであったが、10万弱であった。記憶しているところでは、SXGAで回転可能なサムスンの17インチ液晶が8万円であった。VAパネルで、当初大変目に負担があったたことを思い出す。臨時収入があったので購入したSHARPのLC-26Pは、居間でTVとPCに繋いでおり、たまにしか使わないが、目には優しそうである。そういえば、今回の液晶はIPSの改良型であることもあって、消費電力も少ないと書いてあるが、なるほど触ってみても熱はほとんど感じない。
 ブログのアクセス数はあまり更新していないわりには順調に伸びているが、本数の9割が歴史であるが、アクセスはPC関係が多いというのは微妙なものである。

2013年1月 3日 (木)

利便性とのつきあい方(2)

 大学研究室や国会図書館の利用が容易ならよいが、地方ではそうもいかない。専門書については、一部の大手を除けば数百部の印刷であり、公共図書館で購入されないものが多い。版元の一つで個人経営ながら歴史の専門書の刊行を続けている岩田書店のHPをみても、在庫無しのものもあれば、かなりの残部があるものもある。固定して購入する機関以外の個人(とくに期待されるのは新たに中世史を専門とした大学生であろう)が購入しなくなっているのだろう。ただ、なんとか出版元が続かなければ、大変なこととなる。
 最近、新聞社の勤務後、福岡の出版社の経営者が亡くなった跡をうけて経営にあたり、其の後出身地に帰郷された方と話をすることがあった。御本人とは地域の歴史の話をしたが、その後、ネット上で地方出版社をめぐる厳しい状況などを講演された記録を読んだ。
 パソコンのモニターについて、27インチQWHDのものを導入した。なかなか踏ん切りがつかなかったが、そろそろ旬かと思った。とはいえ、想定外のことが多く、Macbook proとDVIでつないだが、フルHDにしかならない。外部モニターのみにしても同様。ケーブルは対応しているが、mini displayポートをDVIに変換するアダプターが対応していないのだろうか。デスクトップとの接続は対応しているビデオカードを注文済みであるが、なかなか発送のメールは届かない。とりあえずdisplayportとminiを変換するアダプターを注文したが、アマゾンでも値段に幅があった。今回はやや値は張るが安定しているタイプにした。安いタイプでも問題がないという人もあったが、一方ではしばらくすると故障したとの報告もあった。前回、MacbookProとHMDIとDVIをつなぐ2種類の変換アダプターは安価な方を選んで、今のところ問題は発生していないが。
 

利便性とのつきあい方(1)

 ヤマダ電機、ジャパネット高田のみならず、コンビニにとってもアマゾンが脅威だという。たしかに便利で、年末・年始であろうそう日をおかずに必要なものが入手できる。一方、鎌倉幕府守護に関する研究書を地元の書店に注文した。そういそがないものと考えたが、2週間ぐらいはかかりそうである。佐藤進一氏の古典的研究の部分部分については、研究が進んでいるようだ。北条時輔についても伯耆国守護とされており、それと横田庄地頭との関係を考えたが(書く予定だったが)、村井章介氏により別の北条氏一族に比定されているようだ。
 出雲国守護佐々木泰清が六波羅評定衆であったことは佐々木哲氏のブログで知ったが、その子で六波羅評定衆後藤氏の養子に入った人物もいた。出雲国在庁官人勝部宿祢一族も、在京の務めを行っており、京都で死亡した人物もいた。ということで、森幸夫氏「六波羅探題の研究」は以前から読んでみたいと思っていたが、今回の出原氏の問題を契機に、注文した。今回はややいそぐため、某大手書店のネットショップに注文した。アマゾンには中古しかなく、且つ定価より高価であった。版元は従来の続群書類従刊行会が解散し、八木書店が継承しており、在庫があるようであった。直接送ってもらうか、地元の書店へ送ってもらうかを選べたが、年末年始であり最短の方法を選んだ。
 この本については版元の了解のもとネット上で40ページ近くを閲覧できたのには驚いたが(佐々木泰清が評定衆であったことを記した部分もあり)、やはり六波羅探題とその関係者についてきちんと知る必要を感じた。六波羅探題発給文書については熊谷氏の研究があるが、関係した人物については、森氏の研究が詳細なようだ。
 

2013年1月 2日 (水)

隠岐国那具地頭重基(2)

 これに対して刑部尉重基については、九条家領和泉国淡輪庄の公文を務めている「刑部丞(尉)重元」と同一人物であろう。関係史料は和泉淡輪文書(『鎌倉遺文』)と淡輪系図(東大史料編纂所謄写本)に残されている。系図によると淡輪氏は奥州藤原氏の家臣で義経に同伴して戦死した佐藤忠信の遺児重治に始まる。忠信は子の後事を畠山重忠に託し、畠山重忠が上洛した際にまみえ、加冠をうけて諱之字を与えられ「重治」と名乗り、父の藤原姓を改め、母方の橘姓とした。
 次いで重忠の要請を受けた頼朝が和泉国淡輪に所領を与え居住することを認めたとする。重治の後、重信・重昌をへて重元に至る。安貞2年(1228)5月日の近衛家実政所下文では、淡輪庄下司左衛門尉兼重の非法停止が命じられている。次いで天福2年(1234)5月20日九条良平政所下文では、武家(幕府)下知状に任せて左衛門兼重自由沙汰を停止し、地頭職を改めて元の下司職に戻すことが命ぜられている。淡輪庄地頭職も幕府からの要請を受けて下司職から地頭職に改められたものであったが、地頭兼重の非法により、幕府の了解のもと荘園領主が進退できる下司に戻したのである。兼重は「重」の一字から重治の一族であろう。
 兼重は同時に解任された可能性が高いが、嘉禎3年(1234)2月15日某家政所下文で、橘重基を公文職に補任している。次いで建長元年(1249)10月日成恩院法印坊政所下文では、刑部丞橘重基が元の如く公文に補任されているが、重代相伝の公文職の仁である重基を過怠がなかったのにもかかわらず改易したとして、復帰させたのである。元下司の兼重の子孫など一族の間で競望者があったのであろうか。
 いずれにせよ、和泉国淡輪庄の橘氏は幕府御家人として地頭職の地位を得ており、隠岐国那具地頭となっても不自然ではない。また、地頭(下司)兼重が失脚し、重基流が淡輪庄の庄官の中心となるため、那具地頭から淡輪庄に復帰したのではないか。いずれにせよ、前回の出浦氏や松田氏(一般的には平姓とされるが、『福井県史』では橘姓)なども本来畿内の武士団として六波羅探題の御使となり、若狭国等に所領を得ていたのではないか。
付記 福井県史が松田氏を「橘」姓とした出典を確認していないが、「六波羅探題の研究」をみれば、やはり平姓である。

隠岐国那具地頭重基について

 寛元4年(1246)9月の都万院堺注文写は、史料の限られる鎌倉期の隠岐国を考える重要な史料で、この記載から佐々木義清が嫡子政義に出雲国守護を、庶子泰清に隠岐国守護を譲ったことを明らかにしたことがある。ブログでは紹介していなかったので、簡単に記すと、この注文で、貞永元年(1232)8月に「当守護」が入部したことを記しており、これに『吾妻鏡』の政義関係史料をみると、これまで佐藤進一氏によって説かれた、一旦、嫡子政義が出雲国と隠岐国の守護を譲られたが、その出家により弟泰清が両国守護となったとの説が成り立たないことを明らかにした。
 この注文には、那具村先地頭刑部尉重基、今地頭代沙弥本願、賀茂当地頭代中内兵衛尉季茂らの名前が登場するが、限られた情報の中、具体的比定が困難であった。ところが、若狭国に所領を持つ在京人出浦氏や松田氏について、史料編纂所データベースで検索する中で、ヒントを得たと感じたので紹介したい。
 賀茂地頭代中内氏については、承久の乱後、摂津源氏多田氏領から北条氏領となった摂津国多田庄に対して嘉禎4年(1238)5月に安堵して御家人であることを認めた人々に対しての指示が関東下知状という形で出されている。御家人への給田について、中内左衛門尉の注進に基づき、先例に任せて1町づつ与えることが述べられている。これが唯一で、他は豊後国御家人中内氏の関係史料である。
 中内氏は北条氏から多田院に派遣された「御内人」であったと思われる。これを踏まえると、賀茂地頭代中内兵衛尉に対する地頭正員は北条氏である可能性が高いであろう。

2013年1月 1日 (火)

佐草社地頭出浦氏について

 文永8年の佐草社地頭として「出浦四郎蔵人入道」がみえる。信濃村上氏の一族に出浦氏がおり、村上為国の子成国が出浦氏を称するようになったというが、戦国期以前については不明な点が多い。一方、若狭国で13世紀半ば過ぎに活動している「出浦蔵人入道行念」と14世紀初頭の「出浦孫四郎重親」が確認される。行念は六波羅殿御使として若狭国三方郡前河庄に、薬師寺左衛門入道道賢とともに派遣されているが、その子孫重親が「孫四郎」であることを含めて、佐草社地頭と同一人物であろう。重親は嘉元2年の松田十郎賴成と志積浦刀禰安倍景延の紛争に際して、六波羅から田河孫五郎とともに使者として派遣されている。
 松田頼成が安倍景延は自らの所従でありながら、遠敷郡志積浦地頭の権威を背景に命に従わないと訴えたのに対し、景延は頼成の所従であることを否定するとともに、使者として派遣された出浦重親と田河孫五郎は頼成の関係者であると批判している。出浦重親は、母親の兄弟の子で頼成の父である光阿に遠敷郡安賀庄内万代名の田数丁を与えているように、若狭国内に所領を持つ在京人であった(『福井県史』)。
 出浦行念とともに派遣された薬師寺氏については、下野国の小山氏朝政の弟薬師寺左衛門尉朝村(政村)とその子新左衛門尉政氏、そして近親と思われる阿波四郎兵衛尉某が『吾妻鏡』にみえる。一方、嘉元2年には摂津国輪田庄地頭佐久間兵衛太郎長盛女子平氏の夫兼地頭代として薬師寺次郎左衛門尉義清(生覚)がみえるが、永仁6年正月18日地頭代橘義清和与状によれば義清は藤原姓ではなく橘姓なので、小山氏庶子薬師寺氏とは別系統となる。妻佐久間氏については『吾妻鏡』で三浦氏が「佐久間太郎等」を畠山重忠弟重保の追討に派遣したが破れたことが知られる程度で、相模国御家人であろうか。
 出浦行念とともに派遣された薬師寺氏は後者=橘姓(松田氏も橘姓)であり、小山氏庶子薬師寺のような有力御家人ではなかったと思われ、出浦氏についても、村上氏庶子出浦氏とは別系統の可能性もある。

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