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2011年9月 2日 (金)

棋譜からわかる左一郎の動静(1)

 1998年11月に確認した左一郎の棋譜は43であったが、29増えて今回は72となった。天保11年(1840)に石見国へ帰ってから同14年の2回目の上京の間に、天保12年4月と9月の中川順節五段との2局がある。順節は大坂を拠点としており、4月の「尾州御屋鋪」とは大坂の尾張藩蔵屋敷とすべきで、9月の陸原左一郎宅も同様であろう。一定期間大坂に滞在していたのである。順節とは黒番で中押し勝ちで、白番では敗れている。
 同13年4月には天王寺屋忠次郎宅で勝田栄輔との6局の棋譜が知られるが、天王寺屋宅とは弘化3年7月(1846)には、幻庵と秀策が有名な耳赤の一局を打った場所であり、これも大坂である。栄輔は江戸在住の幕臣で五段であったが、四段であった左一郎の黒番4局で2勝2敗、白番2局で1勝1敗であった。
 そして、同年8月以降は2度目の江戸での修行となり、秀策との棋譜が残されている。秀策が同年10月に四段格から四段に進んでいる。翌年2月までの13局で、黒番5局で2勝3敗、白番8局で2勝6敗である。互先であるので、今後黒番3局が確認される可能性があるが、やや秀策に押されており、このため五段を認めらるには至らず五段格で石見国に帰国したのだろう。

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