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2011年9月13日 (火)

左一郎と因碩の対局

 この点については以前ネット上でその棋譜を確認したが、その後そのサイトが閉鎖されたこともあって確認できなくなった。最近別の形で復活したようだが、現時点では以前ほどの棋譜は掲載されていない。他の棋譜のデータベースをみても、因碩戦は掲載されていない。そこで、福井正明氏による『幻庵因碩打碁集』を入手してみた。アマゾンでは中古でも販売されており、手数料込みでも二千円弱で購入できたのはラッキーであった。中国地方の図書館で検索すると岡山県立図書館のみが所蔵していたが、岡山へ行く時間と費用を考えれば、なおさらである。
 その結果、弘化3年11月に岡山での対局として、棋譜が記載されていた。因碩は8月初めまでに秀策との5局を大坂で打っていた。左一郎は11月中旬には周防国小郡で堀部弟策と対局している。因碩との一局が小郡の先か後かについては、不明である。最後まで打っているので、2~3日はかかったと思われる。解説をみる限り因碩が晩年にまとめた『囲碁妙伝』に収録されていたようであるが、64手までを示して持碁と記す。
  左一郎の2度目の上京は弘化元年5月の伊藤徳兵衛との棋譜が最後である。翌2年に父が死亡しており、石見国に帰国したのであろう。同2年10月の尾道での秀策との対局は父を失って後のものであろう。2度目の上京時にはやや押され気味ながら秀策との白番でも二度勝利していたが、尾道での対局の時点では黒番1目負け、そして弘化3年には秀策が因碩に黒番で3勝しているのに対して、左一郎は2子で持碁と、両者の間には差がみられた。

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