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2011年9月 2日 (金)

棋譜からわかる左一郎の動静(2)

 次いで弘化2年(1846)10月の尾道での秀策との1局(黒番1目負)、同3年11月の周防国小郡での堀部弟策との1局(白番2目目)がある。そして、以前ネット上で確認した記憶があるとしか現時点ではいえないが、同11月には幻庵因碩との持碁の1局があった(岡山での対局であったことを確認)。
  そして嘉永元年(1848)には大坂で『活碁新評』を出版し、弟子岩田秀苗(右一郎)を伴っての上京があった。正確にはこれが3度目となる。その3年前=弘化2年に亡くなった父美濃屋丈助は最初の天保8年~11年の上京時には左一郎とともに江戸で生活しており、本因坊家の関係者との交流もあり、挨拶と右一郎の本因坊家入門を兼ねてのものであった。
 嘉永3年(1850)には尾道で5局(1局打掛)、石見国大浦で2局(打掛1局)、秀策との棋譜が残されている(黒番4局、白番1局ですべて秀策の勝ち)。尾道慈観寺の5月25日の黒番で7目負けとなり、「常先」へと打ち込まれてしまった。両者の間には明確な差がついたのである。この後が、嘉永5年9月から嘉永7年10月まで、最後の江戸修行となる

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