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2011年6月24日 (金)

差別は忘却からはじまる

 表題は「奈良の被差別民衆史」で述べられた言葉である。以前、差別された人々の住居の問題について考えた。基本的には平人の住居との間に規模・構造上の差はないことをデータの上から検証できた。住居の平均規模はともに10坪代で、礎石のものと掘っ立てのものがみられたのである。そして、近世後期に差別された人々の住居が平人と差が無いとして規制する法が出されているが、これは差が詰まってきて出されたのではなく、それまでは問題にならなかったことが問題視されるようになったものであると結論付けた。差別された人々の住居は周辺の村々の合力により建てられたのであり、勝手に建てたものではないのである。
 ところが、この地域の同じ問題を扱った唯一といってもよい近年の論文(古い時期のものはあるが)では、一例を基に、差別された人々の家の規模は大変小さく、それも百姓の集落からかなり離れたところにあったことが述べられていた。以前読んだ際には気にとめていなかったが、よく考えるとその問題点に気づかされた。
 それは、火災の報告書から指摘されたものであった。桁行2間半、梁行1間半で1間四方の雪隠があるというもので、住居部分は3.75坪と確かに小さい。ただし問題なのはこれが本来の住居かということで「木小屋」と記されている。差別を受けた人々は、石見国の例では猟師とともに狩りを行っていた。また出雲国の例でも山林を利用してさまざまな活動を展開していたことがわかる。とすると、これは住居ではなくまさに山の活動のための木小屋であり、それがゆえに規模も小さく百姓の集落から離れていたのである。
 この論文には、差別された人々が経済的に低位であったとの前提があり、それが全体の分析に影響している。実はそれは、多数派の人々(平人ならびに藩の役人)の意識(「である」ではなく「べき」)もそうだったのである。そしてその意識を検証すると、その大半が根拠のない思い込みに基づくものであることが実証できる。その意味で「差別は忘却からはじまる」との指摘は正しい。本ブログの主たるテーマである、「資料の声を聴く」からすると、これまで指摘した他の論文と同様、基本的な部分に問題があると考える。そしてこの論文は間違いなくある一つの通説に基づいて構成されており、問題なのはその通説なのである。

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