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2011年6月26日 (日)

百姓の住宅の規模

 宇和島藩の北端に位置する藩境の村、松渓・白髭村(現野村町)の資料(火災報告書)によると、居家は33家、そのうち百姓27家、無縁6家である。本百姓と思われる百姓層は13.5~22.75坪、平均して17.3坪、借家層と思われる無縁層は6~8坪、平均して6.8坪である。
 布部村の普請願書の申請者をみると、中間層から下層と思われ(過去に家を失い、借家住まいをしていたものが手狭になり家を持つ場合や、庶子が分家する際の家が多い)、その平均は百姓の平均としてはどうかと思い、ネット上で検索したところ、ヒットしたのが前述のデータである。家族数や立地(農村と都市)の違いもあろうが、当地域の差別された人々の家の面積(これは農村ではなく、町に暮らす例である)は、百姓の平均ではなく、中~下層の百姓の平均とほぼ同じというふうに訂正したい。
 宇和島藩のデータでは、「隠居家は7軒で3~7坪、そのうち過半数の4軒が7坪である。隠居した老人夫婦の寝食に利用された小さな建物であった。無縁層の建物もこの隠居家とほぼ同じ規模で、隠居した親夫婦と共に当主の弟妹が移動し、その子供たちが成人して分家した家ではないかと思われる」と記されている、当地で分家するケースでは平均10坪程度である。

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