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2011年5月 4日 (水)

原子力災害と責任について

 責任問題といえば、第2次大戦時の問題があり、最高責任者としての天皇の責任から、一億総懺悔論まであったが、それぞれについてきちんと考えていくことが必要である。ここでは基礎情報がないので、おおまかな点のみ述べてみたい。
 今回の事態がありうることを認識していたのは、電力各社とこれを指導監督する経済産業省関係者ならびに原子力関係者(研究・行政)、地震研究者であろう。当初「想定外」との声が聞かれたが、情報が明らかになってみると、10年前から地震と津波、並びに原発の電力面での脆弱性が、地震研究者と原子力研究者から指摘されていた。それに対して「まさか自分の時代に起きるとは?」というのが担当者の「想定外」の本音であろう。東海地震や今回の東日本大地震は、すでにいつ発生してもおかしくない状況だった。
 一方、報道を聞いていて不思議に思うのは長い間政権政党として原子力政策を推進してきた自由民主党の関係者、並びに原子力発電について報道してきたマスメディアから全く反省と責任の弁が聞かれないことである。また、こうした状況下で行われた統一地方選挙で自民党に投票した人々は、以上の点を踏まえてなお選択したのならそれもよいが、何も考えずに投票したのではないか。「お上に任せておけば安全だ」というのがそもそもの誤りであり、「民主党がダメなら自民党」ではなく、「お上に任せる」ことこそが問題なのである。
 日本の原子力政策が日米関係と密接に推進されてきたことは明白であろう。政治家として最も批判されるべきは自民党関係者(といっても政党の離合集散があり、民主党関係者にも深く関わってきた人がいるのも確か)であり、批判に明け暮れるマスメディアは本当に必要な情報を提供してきたのであろうか。
 今回の災害に伴う補償について、東京電力と政府の分担について議論があるが、どの場所・発電所で起きた場合も、同様の事態に発展したであろう。その意味で、東京電力だけでなく、電力各社が負担をするというのは、過去の原発推進の責任とともに今後起こりうる事態に備える意味でも当然であろう。今回をうけて対策が進み、今後はどんな地震がきても大丈夫などと思うのは、思考力が欠如している人のみであろう。政府(これには自治体を含む)についても、全体の責任よりも、関係部署の責任を明確にする必要がある。それがなくてトップを替えても何の反省・教訓も残らない。

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