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2011年4月10日 (日)

地震と富士山噴火(2)

 「折りたく柴の記」で有名な、荻原重秀と白石の貨幣改鋳をめぐる対立があったのは、この宝永の大地震と大噴火に対する復興計画をめぐってであった。宝永の富士山噴火については山室恭子氏『黄門様と犬公方』を読んだ際に、晩年の綱吉とからんで印象に残った。
 次いで、今回の地震後、その類似点から急に浮上してきた貞観の大地震(869)である。
『日本三代実録』の記録から東北地方の支配の拠点であった多賀城下でも津波の被害が出たことが知られ、近年は地質の調査から広範囲に津波の影響があったことが指摘されている。
  それを踏まえた地震対策の強化が主張されたが、対策費用を含め膨大な費用がかかるため、電力会社は根拠が十分でないとして、対応しなかったとされる。
 ここで注目するのは、この地震の5年前の貞観6年(864年)に富士山の貞観大噴火が起きていることである。富士山の噴火は前回述べた宝永の大噴火が最後となっているが、地震と噴火の関係を指摘する声もあり、今回の場合はどうであろうか。地震予知は現在の科学を持ってしても困難であるが、いつ起こっても不思議ではないとされる東南海地震とともに、防災対策などに注意しておく必要があると思う。
 そして、安政の大地震であるが、『尾氏春秋』のこの地震に関する最初の部分には以下のように記されており、筆者もびっくりであった。
○十一月四日朝四ツ時地震殊の外長し
○同五日七ツ時大地震拙者七十才二相成候得共、此位の大地震ハ知らず
今回の大地震と違い、石見国そして続いてみるように出雲国でも揺れたのである。

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