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2011年4月11日 (月)

島根県域と地震(1)

 地震調査研究推進本部の「島根県に被害を及ぼした主な地震」をみると、延宝4年(1676)の石見国での地震で津和野城などで死者7人、負傷者35人の被害が出たことが記されるが(別のページでは「1778年にM6.5、1859年にM6.0~6.5の地震が発生し、局地的に被害が生じました」とあり、延宝4年と1778年が混同されている可能性有り)、宝永の地震については言及がない。大坂での津波被害が安政の南海地震を上回っており、揺れと被害はあったと思われるが、史料がないのであろうか。次いで安政南海地震での出雲大社周辺で150棟が潰れたことが記される。中央防災会議の報告書では、出雲大社周辺で震度6強、松江で6弱と評価されている。そして安政6年正月5日に那賀郡・美濃郡で地震による家屋倒壊があったとされる。尾氏春秋ではそれ以外にも大きな揺れがあったことが記されていた(安政5年11月2日、同6年9月9日や万延2年2月)が、これも記録がないのだろうか。その意味で尾氏春秋は島根県域での災害・地震を考える上で重要な情報を提供してくれるものである。
 津波については、「1872年に発生した浜田地震(M7.1)では、震源域が浜田付近の沿岸から日本海沖合にあったと推定されています。これは陸域の浅い場所で発生した地震と同じタイプの地震と考えられます。本震の約1時間前に、かなりの大きさの前震がありました。被害は資料によって異なりますが、当時の浜田県管下震災表によると、旧浜田県では、死者536名や家屋全壊4,000棟以上、旧出雲県で死者15名や家屋全壊450棟以上などの被害が生じました。また、この地震では海岸の昇降が見られたほか、小津波がありましたが、これによる被害は知られていません。」と述べられている。このうち、有名な浜田・畳が浦がこの地震で2M以上隆起したとの説は、あったにしてもごくわずかであったという説が有力になっている。

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