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2011年1月16日 (日)

資料の声を聴くのは?(3)

 尼子関係資料を精読したきっかけは、「尼子晴久の生年を早める」ことを主張する本の書評を頼まれ、やむなくその著書を購入しマーカーで真っ黄色に塗りながら、「吉川家文書」を読んだ。その本は丹念に史料が収録してあったので、なんとか考えることができた。
 無年号文書がほとんどで当初はさっぱりわからなかったが、なんとか関係資料をみて考えながら年次の比定を行った。その一方で、石見銀山での生活はパラダイスだという教育実践を行うために教育センターに研修にこられた方があり、とてもそんなことはあり得ないことを証明するため、石見銀山の史料を読み始めたところ、「おべに」の中の年号と干支の違いに気づいて、一次史料との照合を行った。尼子氏の銀山攻略の年については、永禄元年の根拠がよくわからなくて考え始めた。一週間以上考えたが特定できず、疲れもあって史料不足により決定できないと結論付けて作業を終了しようと思った瞬間に、ある史料の前で目が釘付けとなった。
 「都治根元」でも同様の問題があったが、現代の私たちにとってもその事件が何年のことであったかを確認することは大変であろう。そして、基本は元号ではなく、干支で記録していたこともわかる。まだ中世後期の石見国について、自分なりの見解を持っていないでの、それもやらなければならないが、その一方で現在を考えるデータとして、近世史料の活字化を望みたい。近世後期となると歴史データの量だけでなく、質が他の時代と違う。近現代はもっと史料が多いかもしれないが、マスコミではなく当事者自らが記した史料の残存量の多さでは近世後期が一番多いのではないか。
 500回を越えたとことで、ぐだぐだ述べてみたが、このような作業を行う人は他にいないのだろうか。ブログでも触れたが、研究者の大半は一度まとめた問題について、以後理解をさらに深めるということがなく(例外は永原慶二氏か)、これも自分としては不可思議である。読めば読むほどわかってくると思うのだが。

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