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2010年11月14日 (日)

近世後期の変化4-4

 島根郡では出産の際、関係者が被差別民宅を一両日中に訪問し、相応の祝儀を渡すことになっていた。ところが、これが問題となった。平人側の主張では、相応の額とは自分たちが決めるものであるのに、被差別民側がその多少について不満を言うのはおかしいとなる。
 この問題について、例としては必ずしも適切ではないかもしれないが、共通の問題をはらむこととして、現在の戒名に対するお礼を考えてみればよい。戒名は誰でも付けることはできないので、有資格者に付けて貰い、お礼を渡すことになっている。 戒名をめぐる慣行に何の疑問ももたない場合は、問題となることはない。ところが、科学の発達した現在では、戒名の必要性について疑問を持つ人は少なからずいるであろう。ただ、葬儀が一家のみならず、親戚や近所・勤務先を巻き込んだ一大行事として行われるため、疑問はあっても戒名なしの葬儀まで行える人は、とりあえず仏式で行う人では少ないだろう。そうなると、お礼としての戒名料に対して、どの程度が適切かという疑問が生じるであろう(お寺側の改革の問題もあるが、それを含めてこれ以上は述べない)。
 先行研究ではこの出産に対する祝儀に関して発生した問題を、平人側の主張に準じて被差別民側の「わがまま」というとらえ方がなされた。それにたいして研究会ではコメンテイターから、被差別民が出産において果たした役割について考える必要があるとの注文が出されたのである。論者も論文を読んだ際にまったく同じ意見を持った。
  島根郡の例では、平人側の意見として、産家(屋)の問題が出されている。出産の際、女性が家を離れ、出産まで生活したのが産屋であり、この慣行そのものは近代以降にもみられた。出産した女性は家に帰る前に産屋の番人の家に立ち寄り、食事を共にした。これは出産に際して生じる「ケガレ」をキヨメてもらうためであった(瀬川清子『女の民俗誌 そのけがれと神秘』)。文化人類学では、出産に際し女性は集落から離れた秘密の場所へ行き、出産後再び集落に戻る例が報告されている。神に守られ出産するというものであった。

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