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2010年11月14日 (日)

近世後期の変化4-3

 藩側の命令を受けて被差別民側が最初に出した断り状(慶応4年正月)では、平人側より先に漁場に出たことのみを誤りと認めているが、あくまでも藩側の命令によるもので、本当にそれが間違いと考えていたわけではない。そしてそれでは平人側が納得せず問題の収拾ができないことが明らかになると、2度目の断り状(慶応4年6月16日)を出させている。そこでは平人に対する不法な振る舞いを「以後しない」としたうえで、平人側へお願いをさせている。
 ところがそれでも平人側が納得しなかったため、3度目の断り(明治2年5月)では、被差別民側が自分たちが下の身分であることを認めた上で、分を過ぎたことはせず作法を守ると約束させているのである。最初では断りながらも自己の立場を主張していた被差別民側が、最後には完全に平人側の主張を認める形となっている。それは間に入った藩の役人自身がそれが本来の姿であると誤解していたからである。そして明治2年4月に被差別民が民政局支配とされたことは、本来被差別民側にとって有利になるはずのものであったが、問題が解決した後の5月になって、その趣旨をゆがめる形で被差別民側に伝えているのである。

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