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2010年10月17日 (日)

近世後期の変化1-3

 寛政13年段階では不明確であったろうが、それが実施される段で平人の側から作法の問題点が指摘され、作法が求められるようになったでのあろう。その結果として、本来は請人制度とは無関係な、被差別民の管理下に置かれた人は被差別民と同様の作法を強制するとの内容が付け加わったのである。その趣旨はそういう待遇に置く事により再犯を防ぐというものであったであろうが、それが結果として差別意識を強めたことは確かである。
 残された課題は、被差別民が平人と接触する際の作法がいつごろから生まれるのかという点とそれが本来差別=排除の性格を持ったのかということであろう。
 松江藩の御立派については、これを評価する意見もあるが、様々に活動範囲を広げつつあった百姓に対して、自らの一方的なイメージに基づく行動を強制し、それに合わない人々やその活動を排除しようとしたという意味では、社会の発展にマイナスとなった(反動的)政策で、結果として差別の強化をもたらしたものである。この傾向は松江藩だけでなく、全国的に18世紀後半以降、それまでのルーズで受容的社会から管理的で自村中心的社会への移行がみられるが、その評価はどういう視点で歴史を見るのかによって異なってくる。もちろん、それで人とモノの動きが加速するのを抑えることはできたわけではない。
 なお、網野氏によると中世前期の村落に対して後期の村落では外部に対する排除の傾向が強まるとするが、中世では村落の正式構成員が社会全体で占める割合は低かったと思われるので、社会的により大きな意味を持つのは近世後期の変化であると考える。

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