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2010年10月16日 (土)

近世後期の変化1-1

  近世後期の松江藩の刑罰として、期間を限って居住地を追放されて、被差別民の管理下に置かれるというものがあった。そしてその際には、被差別民が平人に対する場合と同様の作法を求められた。被差別民といっても、皮革に関わる人々ではなく、警察的業務を行った人々である。松江藩の場合は、後者が被差別民の8割を占めている。被差別民同様の作法を強制されることが、差別意識を強めたことは間違いなかろう。藩による差別強化の一例と評価することができるかもしれない。被差別民については具体的呼称があるが、それを使わなくても理解可能なので、ここでは呼称は使わない。「被差別民」の用語そのものも、以下に述べる実態からすると適切な用語ではないというのが論者の見解であるが、これに替わる適切な語がないのでとりあえず使用する。
 話を戻すと、このような制度が生まれた過程を史料で確認すると、必ずしも被差別民への差別政策として考えられたものではないことがわかるので、以下に述べていきたい。
 ①明和9年(1772)正月に大原郡内の町の住人が目代と町年寄に対して了解したとの請書を提出しているが、その中に、村内で請人(身元保証人)を確保することが述べられている。その際、親類や両隣向三軒以外でなければならないが、若し請人がいなければ被差別民を請人にすることを了解したとしている。そしてこの点については以前から言われていたが、近年の御立派(おたては)以来稠敷くなったとして確認がなされたとしている。
 ②この翌年(1773)12月には出雲郡内の村の百姓が請書を庄屋と年寄に提出している。博奕と小盗取、賣酒について以前から禁止されていたが、近来所々で博奕が行われているのは不届きであるとして、法令遵守、とりわけ博奕・小盗取・賣酒の禁止を守ることについて、連帯責任として請人を立てることを求めたのである。その際に、互いに請人になることは認めず、ここでも請人がいない場合は被差別民を請人とするよう命ぜられ、それに対して、五人組の単位で請人とともに署判して提出している。

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