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2010年10月16日 (土)

岸本左一郎の対局記録(2)

 天保6年閏7月16日から4日間、大田の宗光寺で、石州福光村宝蓮が2段に昇段して帰国したことを祝う碁会が開催された。最初に新次郎が宝蓮に2目で2連勝している。
本因坊家の門人で初段であった大浦の廣右衛門、福光鍛冶周布右衛門外石見国の関係者が多数登場する。廣右衛門は出雲部の大谷作四郎と相先で1局(白番)打っている(黒の作四郎勝ち)。「ミのや」左一郎は秀平(石見部関係者で、新次郎に対して5目と4目で6局打って3勝3敗)と相先で3連勝しており、それを含めて11局を5人相手に打ち7勝4敗であるが、宝蓮とは対局していない。
  左一郎と宝蓮の対局は天保7年三月大森の碁会で実現し、4目で4連勝すると3目に手直りとなり、その後は7勝2敗であった。初段の廣右衛門に対しては先で1勝2敗、その外6局(相先2人と先(相手)一人)では5勝1敗1持碁。
天保8年2月6日から15日にかけては、左一郎は作四郎と対局し、最初の「相先」の6局で1勝5敗となり「先々先」に手直る。16勝12敗と勝ち越して再度相先となるが、4勝8敗2持碁で再度「先々先」となった。その後は22日までに1勝1敗であった。この碁会には松江から2段の金森栄八が参加しており、作四郎と左一郎との対局ではいずれも2目置かせて、作四郎とは10番で4番負け越しで先弐に手直りとなり、その後は1勝3敗。左一郎とは9番で1番勝ち越しであった。
 この後の天保8年10月21日に知井宮山本家での対局にも金森栄八が来ているが、この時点では左一郎は見えず、上京して本因坊家に入門していたと思われる。金森は作四郎の「先弐」では8勝1敗と勝ち越している。次いで天保12年7月14日と15日の記録がある。同年8月に山本閑休は死亡したが、11月10日の記録が最後のものとなっている。

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