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2010年10月17日 (日)

近世後期の変化2-3

  文政7年(1817)の神門郡の命令では、犯罪により入牢した際の負担が加重であるとして見直している。費用は本人、五人組、二十五人組と親類組合、さらには村割で負担することとなっていた。その最後には、被差別民が入牢した際の負担について述べ、本人、村内仲間、郡中仲間の順で負担することになっているが、郡により区々で、郡村割で助成することを禁じている。すなわち、居住する村だけでなく、周辺の村や郡内で警察業務を行う被差別民について、居住する村や郡が負担することがあり、これを禁じているのである。
 被差別民の二面性についは、すでに触れたが、現実に居住する村の百姓との関係がしだいに強まっていくのは当然であり、そのために百姓に準じて村が費用を負担することがあったのだろう。
 同じ郡内の別の家の古文書を探すと、同じ文書が残されており、それとともに宝暦3年(1761)の法令が残されていた。被差別民が入牢した際は、本人の家財を取り上げて差し出させるが、不足があれば村内の仲間、なお不足する場合は郡中の仲間から負担させることを定めている。「先々のとおり」などの表現がないため、この時点で初めて定めたこのであろう。
 神門郡内の天明年間の記録では、被差別民が入牢した際に、郡内の仲間でその費用を負担していることが確認できるが、すべてがこうなったわけではなく、居住する村が負担した場合もあったのであろう。 

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