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2010年8月21日 (土)

岸本左一郎碑について

 18日に江津市で高文連の研修会があり、碑のある天河内満行寺の近くを帰りの19日とともに通った。生徒が同乗していったことと、この季節と暑さ、さらには時間の都合で実際に石碑をみることはできなかったが……。そして、帰ってからインターネットを検索すると、益田市の大庭氏のHPで石碑に関する記事が新たにアップされていた。
 石碑の裏(あるいは表もか)の文の起草者と筆耕者について、地元ではなく中央で活躍していた著名な人物であろうと述べられていた。その人物をgoogleで検索してみた結果、大庭氏の説が妥当であると思ったので、訂正したい(詳細は氏のHPを参照)。石碑が設置された天河内に隣接して大国があり、その指導者安井好尚のことが念頭にあり、安井衡についても地元の有力者であると考えたが、明確な論拠があったわけではなかった。岩田右一郎碑をみても、儒学とともに囲碁を学ぶという文化的背景のもとに、著名な学者が起草し、これまた著名な書家が筆耕し、それを刻んだものであった。
 岩田右一郎碑も多くの人がみることを前提に白潟天満宮内に設置されたが、天河内も同様の理由(山陰道も通っていた)と大森から近いことで選ばれたのだろう。

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