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2010年5月 3日 (月)

天地明察

 本屋大賞受賞のニュースを聞くまで『天地明察』については何も知らなかったというのが正直なところだが、1998年刊の高校生向けのふるさと読本で、本因坊道策について書いた。関係者の誰も道策については知らず、なぜこのような人を扱うのかと聞かれたが、原稿を見て納得。雪舟、人麻呂(この二人と道策を石見三聖人と呼んだ)、ラフカデォ・ハーンなどの他の有名な人物よりも多くのスペースを使って、囲碁と道策について述べた。
 興味を持てるようコラムを入れて欲しいとの要望があったので、「波乱の大会」(1978年に出雲高校が高校囲碁選手権で優勝)とともに、安井算哲のことを書いた。以下はその内容を引用。
(貞享暦と安井算哲)
 高校の日本史教科書には、日本で初めて制定された独自の暦として貞享暦が記されています。これを作成したのは幕府天文方の安井算哲で、中国の元の時代の暦に基づきながら修正して作ったとされます。ところが、安井算哲には渋川春海というもう一つの名前があり、教える教員や勉強する生徒を悩ませています。どちらか一方にしてほしいところですが、囲碁家元で名人・碁所にもなった安井算知の子として生まれた「算哲」が、囲碁を引退して天文方となった時の名前が「春海」なのです。1639年に生まれた算哲は父算知にならい名人・碁所を目指しましたが、その前に大きく立ちはだかったのが道策でした。力戦主体の安井流を学んだ算哲は、より柔軟な道策にまったく歯がたちませんでした。そこで、天文学も学んでいた算哲は、道策との対局で、宇宙の中心は、碁盤では中央の星=天元であるという確信(あるいはヤケクソ?)から、初手を天元に打つという奇策に出ました。その際の棋譜が現在も途中まで残されていますが、算哲に勝利の女神は微笑まなかったようです。道策は算哲を7段と認定していますので、両者の間には2子の差があったわけです。そうしたわけで安井算哲は囲碁から引退し、天文方としての仕事に専念したわけで、その結果が、貞享暦の作成であったわけです。将来的にはわかりませんが、現在の学校教育の世界では、安井算哲の方が、道策よりも有名なわけです。
 本に登場する和算の大成者関孝和についても関心があった。小説家のセンスがあれば‥‥。

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» 書籍「天地明察」答えなんか遥か遠くに輝くばかり [soramove]
「天地明察」★★★★面白い! 冲方 丁著、角川書店、2009/12/1 初版 (475ページ 、1,890円)                     →  ★映画のブログ★                      どんなブログが人気なのか知りたい← 2010年本屋大賞受賞作品、 時代物は苦手だが評判がいいのでネットで注文した。 地下鉄で読んでいた海外ミステリーを読み終え この本を読む準備万端整え本と向き合う、 最初のページをめくる喜び。 「渋川春海の青春の物語、 彼が20年あまりの... [続きを読む]

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