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2010年5月 3日 (月)

嘉永3年の秀策来臨

 さよふけて嶋音もさむし水鳥の 拂ふ翅に霜やおくらん   秀策
林晩翠先生に別る々ときよみておくる  左一郎
 わかるれとまた逢ふ(こ)ともあるへきお と々めかたきはなミた成けり
秀策の歌については前にも紹介した。その大浦(大田市)林家の日記に記された左一郎の歌を引用した。ともに囲碁の傍らで儒学を学んでおり教養人であったことがわかる。
 当時の日付をグレゴリウス暦に換算すると、嘉永3年8月26日が1850年10月1日となる。秋半ばであるが「さむし」、「霜」という語からすると初冬を連想させる。そこで石見国邑智郡の医師が記した「尾氏春秋」をみると、嘉永3年8月7日に前代未聞の大風が吹き、雨も降って大きな被害が出たことが記されている。季節はずれの台風であろう。米が不作で気温も低かったのだろうか、各地で米価が高騰し、人々が米屋に押しかけるという状況が、8月中旬に石見国や安芸国でみられたことがわかる。
 なにより、隣国出雲国では、嘉永3年の藩の収納高は、天保の大飢饉の底であった天保7年の25万8千俵を下回る22万7千俵であった。そして明治2年はさらに少ない19万2千俵余だった。

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